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つきあい方の科学―バクテリアから国際関係まで (Minerva21世紀ライブラリー)つきあい方の科学―バクテリアから国際関係まで (Minerva21世紀ライブラリー)
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 今週のドラマでは「盈盈」さんと「儀琳」ちゃんが「左冷禅・嵩山派」に襲撃されて「あわや」でした。 あの竹林のシーンは、中華武侠映画の定番ですね。 このキン・フーの名作「侠女(A Touch of Zen)」このシーン(Youtube)が元祖で、沢山ありますがミッシェル・ヨーの「新流星胡蝶剣」このシーン(Youtube)は、左冷禅が真似してます。 不戒和尚と不可不戒の田伯光に助けられますが、田兄は嵩山派の矢から儀琳ちゃんを守って死んでしまいました。 じゃあ最後華山でどうやって岳不群に監禁された恒山派を見つけるのでしょう?(笑)

 さて、今回は、以前、令狐冲が、盈盈・儀琳・霊珊との恋愛劇の中で「伝統的な義」を越えた「義」の模索・再発見をしていく、と書きましたが、まずはこの三人がどういう存在かです。 これには、上記の本の主題である「ゲーム理論」における「囚人のジレンマ」とその生き残り最適戦略が関係してきます。

 ・霊珊: 義妹であり妹弟子。 令狐冲にとっては「家族の一員」であり「人間関係の原点」です。 彼が、彼女にとってもお互いに「おとな」になっていく過程でこれから選択するものではなく、「乗り越えなければならない」存在です。 よって、読者が「もういい加減に諦めたら」と思っても、「そう簡単にはいかない」のだと思います。

 ・盈盈: 彼女は武侠の女主角にしては意外な面があります。 江湖の評判を異様に気にし、その江湖の人気に支えられた存在であること。 「江湖」=世間 「評判」=世論・選挙・世間の目。 これはまるで「近代欧米的民主主義」ですね。 社会・政治制度としてはこれが「前提」といっているようです。 それより肝心なのは次の点です。
 「緑竹巷」で二人が出会い、学琴ののち別れ際に盈盈がいみじくも言った「江湖風波險惡、多多保重(江湖は生き馬の眼を抜くところ、どうぞご自愛ください)」、これは「儒教的な社会規範や絶対君主制が崩壊し、それに替わる規範や制度が希薄になった中国の現代そのもの」を言い得ています。 この「江湖風波險惡」の渦中で盈盈の規範としているのが、ゲーム理論でいう「しっぺ返し(tit for tat)」戦略です。 これは「繰り返し型の囚人のジレンマ」の社会において、最後まで生き残る戦略のひとつで「相手が裏切るまで自分は決して裏切らない」ということです。 盈盈の、少林寺の三戦ののち、岳掌門の「蹴り」に傷ついた令狐冲を看病している時の会話における、エキセントリックな愛の告白が具体的な意志表示です。 貸し借りのような煮え切らない令狐兄にたいし、きっぱりと言います。
 「もし、あなたが私を裏切ったら、天罰を受けなくてもいい、私が・・・・・私がこの手で、殺してあげる」
 金庸は意図していないと思いますが、後のゲーム理論研究で実験・証明された「生き残り最適解」のひとつ「しっぺ返し」戦略を『「伝統的な義」を越えた「義」』のシンプルなモデルとして提示していると思います。 正・邪、善・悪など「AかBか」の価値判断と選択ではなく、これが原理・原則だよといっているのでしょう。 旧来の「義」と違うのか? いや、同じかもしれません。 しかし、「変らぬものは替わらない」と言っているのだと思います。

 ・儀琳: さて、では儀琳はどういうモデルでしょうか。 彼女の言動、尼僧という形からも「理想的平和主義」。 ゲーム理論では「相手が裏切っても決して裏切らない」(「お人好し」戦略)という戦略になるのではないかと思います。 個人的関係なら心優しき儀琳を選ぶかもしれません。 しかし、『社会的存在としての人間』のゲーム戦略としては『生き残れない』のは確実です。 相変らず続く「AかBか」です(笑)。 この辺が、後々金庸先生も悩むところなのだと思います。

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