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(2006/02)
学研
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 あの部屋にはこんな本が置いてあるのでしょうか・・・。 羣玉院はドラマでは思いっきりスルーでした。 「密かに愉しみ」していた場面なんですがね。 お相手は出来れば天龍の「五人の菩薩様」で・・・。 こちらの「姑蘇三人美女」や、こちらがお好きなかたも・・いらっしゃるでしょうが、最強の「美女」が後からが出てきますのでそれまでじっと我慢下さい。

 やっと令狐冲が「小説の表に」出てきました。それも、女郎屋さんのベッドで死にかけた姿で。そしてお互い自己紹介、デレデレ・・・。少々驚きの主人公登場シーンです。
 『「驚き」=「Suprise」=「異化」』が単純にいえば小説の面白さの原点です。しかし、読者は全体としては「安心」して読みすすめられないと「それはないだろ・なんだこれ」で終わってしまいます。バランスが勝負です。

 さて、小説はこの「治傷」の章で「起承転結」の「起」の区切りですね。ここで「話(時間の連続性)を切って」います。読者も一旦読書を切らないと、この先しばらく抜け出せず徹夜してしまいますね。

 読者はこの小説で展開されそうな物語を感じます。
 1)林平之の復讐劇  2)令狐冲と儀琳・岳霊珊の恋愛劇 この二つはよく視えます。
 さらに、3)胡散臭い連中ばかりの「武林」ドタバタ騒ぎ が起きそうです。

 これは典型的な「武侠小説」のパターンで、安心して流れに乗って読んでいけます。特に前作の「天龍」がかなり「変形」でしたので、余計その雰囲気になると思います。
 そして、次章の「洗手」の意外な展開で一気に話は「承」、盛り上がっていくわけです。

 ここまでの「仕込み」(今後おきそうなことの予感させる伏線引き)についてとりとめも無く書きます。(ネタばれ有)
1.章の「題名」の伏線
 1)「滅門」:最初に「福威鏢局」が青城派のテロで殲滅されますが、結末の前に、各派が洞窟の中で自滅的に「滅門」していきます。
 2)「聆秘」:肝心なシーンで「盗み聞き」が使われます。少林寺「三戦」、雪だるま「積雪」・・・。そして、大結局の和解のシーンで一部始終の種明かし、そして「床入り」の時もで、盈盈の「一喝」でこの物語は終わります。
 3)「救難」:今後何度も「救難」が展開され「貸し借り的」人間関係の軸です。正・邪、恩/仇ではなく「難を救う」ことです。
 4)「座闘」:大結局の和解のシーンで任我行にやろうとしたこと、「椅子に座らせて爆破」。
 5)「治傷」:令狐冲は「傷を負って治して」の連続ですね。「心」「身」ともに。

2.台詞や状況の伏線(ランダムに)
 1)四章座闘での条件、「負けた者は、刀でバッサリひと振りして、みずから宦官となる」・・・モロですね、結果伏線どころではない。儀琳が「どういう意味ですか」と師太に聞いて「すり込みの念押し」までしています。
 2)魔教の東方不敗の名前を「ちょっとだけ出す」。 座って闘えば令狐冲は二番、一番は「東方不敗」・・・「東方不敗」の登場シーンは、「刺繍をしながらお花畑に座って」います。そして、この戦いでは戦闘能力を上げた令狐冲も東方不敗に一人では敵わず、盈盈がこの小説で一番「悪辣な」手を使って勝ちます。
 3)三章救難、劉宅での尋問の最初定逸言う「何が、『尼に出くわすと、験が悪い』じゃ、そんなでたらめを信じるやつがあるか? ここにいる方々は私に会うたからというて、一人残らずツキがなくなると言うのかえ?」。ここにいた劉正風・余滄海・天門道人の最後は如何・・・。そして定逸師太も。
 4)林平之の「くる」の変装、「くる」の木高峰が「何でここに出てくるのか?」
 5)入門する林平之を岳霊珊が弟弟子にしたがる。令狐冲は大兄師、その裏返し
 6)何で岳不羣は木高峰が林平之をいたぶっている傍にいたのか?  何で岳不羣は林平之を「見た目にはアッサリ」弟子にしたのか? (ばればれですが)
 7)辟邪剣法が「重要そうだ」という種まき(各所)

3.羣玉院で令狐冲が余滄海にやられそうになるとき、「聆秘」していた林平之が「目下をいたぶるか、恥知らず!」と怒鳴り助ける。林平之「好漢」という印象ですが、実はこれで「聆秘」から表に出て「主役」交代です。

4.「立って闘う」/「座って闘う」は「武力」/「交渉事」、「剣」/「ペン」の喩えか?。

5.拝聴に値する岳不羣のお言葉  労徳諾曰く「みなよく心に刻みつけておくのじゃ。師父はこうおっしゃった。・・・・・・・。相手が『英雄豪傑』と呼びたければ呼ばせておけばよい。その振る舞いが英雄豪傑にふさわしいのなら、われわれは尊敬し、交友をむすべばよいことで、敵視してはならぬ。じゃが、相手が英雄豪傑でなければ、武林にはおのずと公論ができ誰もが嘲笑うはずじゃから、われわれが構うことは無い。とな」  すばらしいお言葉ですね。

6.ここまで実は「魔教」「聖姑(任盈盈)」はぜんぜん出てこない。正邪云々、「魔教」/「五嶽剣派」の対立も出てこないはず。

1/21追記
令狐冲と儀琳が引退式にかけての大騒ぎをよそに「治傷」しているシーンですが、結構気になる科白があります。令狐冲曰く
瀑布有瀑布的好看,彩虹有彩虹的好看
「滝の側に来たら逆に虹が見えなくなっちまった」
一個人千辛萬苦的去尋求一件物事,等得到了手,也不過如此,而本來拿在手中的物事,卻反而拋掉了。”
「世の中には完璧なことなんてないから。散々苦労して何かを捜し求めても、一旦手に入れれば、こんなものかと思う。もともと手中にあったものは、かえって投げ捨ててしまう」
これを儀琳が仏法の真髄だという。
百喩経からの仏説二つ(内容略)。
・・・・この後の儀琳のせつないまでの想いの綴り・・・・。
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