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 Amazonさん洗面器も売ってるなんて感動もんです。ちなみに6,300円とのこと・・・。
 さて、日本で「足を洗う」ことを中国では「手を洗う」というらしいですね。 劉正風は「手を洗おう」としましたが、お仲間が許してくれませんでした。
 「染まったら洗えば許してくれる」のがかの邦。 「染まったら絶対おちない、でも別のところを洗って許してしまう」のが我が邦。 どっちもどっちですね。 (正しい語源は参考まで)

 令狐冲が儀琳と治傷中マッタリしている間にとんでもないことが起こりました。
 引退式は非常に重要なシーンです。 ここでは「正/邪」云々が価値判断によるものではなく、「AでなければBだ」という只の「レッテル貼り(区分)」であること。 儒教の道徳で「五倫」にあたる君臣・父子・夫婦・長幼(兄弟)と「朋友」を条件とし、「A」か「B」かの決断を強要させること。 そしてこれを視ている「読者の存在」です。
 かなり乱暴で纏まらない話ですが、よかったら続きを読んでください。
 林平之の「聆祕」が終わった後は、作者の説明調、目線での話が続きます。 読者はそれに慣れてきました。 ここで読者はまるで、「洗手」の会場に紛れ込んだように感じます。 特に、「買官」の場面からは、群雄の一員であるように感じ、目線、感覚が同化し、江湖の人間として読者毎に様々な「読み方」をします。 群雄は「君臣」関係を「買官」した劉正風を嘲笑したり、兄弟子との関係を憶測したりします。(「買官」はCCTVではやってませんね、やはり)

 ここで、「嵩山派」の乱入です。 読者は江湖の一員ですからその感覚・論理で読み進めます。 五嶽剣派と日月神教(以下魔教、盈盈御免ね)の対立や、武林の構造など「知っていること」になります。 そして岳不羣の「五嶽剣派」は「正」、魔教は「邪」という「レッテル貼り」をアプリオリなものと承知してしまいます。 もちろん、五嶽剣派の名称の所以など読者の「知識」や宣伝・書評・評判に至る「先入観」が影響しますし、これまでの展開では青城派の悪辣さも知っていて、「何でこれが「正」なの?」「正なのにえげつない」などという疑問や感想は持ちつつも「正」という言葉とその持つ「イメージ」をひきうけます。 実は「Aグループ」「Bグループ」(これでも順位があるような印象はある)に過ぎないのに・・・です。

 五嶽剣派は劉正風に対し、「AでなければBだ」という只の「レッテル貼り」の論理を展開します。 「五嶽剣派」とは何なんでしょうか? 利益共同体? 恩仇の繋がり? ここでは解りません。 嵩山派というより不在の左冷禅=擬制の「君主」の「指令」に従うのかどうか、儒教の道徳で「五倫」にあたる「朋友」と「君臣」の選択を「父子・夫婦・長幼(兄弟)」という条件を出して迫ります。 この論理展開を「Aではないとされたくない」「五嶽剣派」の諸氏及び「群雄」も、感情的に拒否しつつも「否定」できません。 各々の立場で加担したり、逃げたり、沈黙を決め込みます。 なぜ「Aではないとされたくない」のか、それは社会的存在としての人間の意識です。

 劉正風は、「朋友」を選びます。 選択の相手は「擬制の君臣関係」なのですが・・・。 
 選択の最後で、劉正風の息子が、「君臣」>「朋友」と言い張ります。 「お父さんの言うとうり」の回答=「死」を選びません。 死にたくないから? 恐怖から? 本心? 解りません。 しかし、「自己」>「父子」、「人間としての何か」>「道徳と思われるもの」という選択をしたのです。 勝ち負けではありません。 これを誰も是非・善悪を判定できません。 ここまで書くか・・・と感じました。

1/17追記
 「君臣」と「朋友」どっちを採る?という選択肢により、「五嶽剣派」か「魔教」かの判断をする。という「論理展開」です。 粛清です。 それに、「朋友」と「兄弟」「夫婦」「父子」どちらを採る?という選択を加えていくわけです。  「五嶽剣派」か「魔教」の選択。 「A」又は「B」しか答えが無く、「A」かつ「B」や、「A」でも「B」でもない ということを認めないわけです。 そしてその選択肢の条件は「五徳」という「一般的道徳律」=「常識」です。 そして自ら「群雄」=「民衆」の心理を利用した「正」/「邪」というさも価値があるような「レッテル貼り」。貼ったレッテルを次の展開に使う。 政治的にはファシズムの論理。
 自己の都合(論理・感情)で一方的に相手を暴力で殲滅するのは、テロリズム(林家滅門)。
 力関係で正論と思われる自己主張を引っ込め、相手に迎合するシーンもありますね。相手もそれを承知で仕掛ける。 パワーゲームです。
 ここまででも、政治の類型、権力の姿が描かれています。 しかし、これらは普通の社会生活でも起こりうる、起きていることです。
 それを、群雄に紛れ込んだ「読者」が読んで(眺めて)いるわけです。
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