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 笑傲江湖は、金庸自らが自己解題の如く書いた「あとがき」を含めてひとつの作品と思っています。 (後記:原文へのリンク) 私にとってはこの「あとがき」が無ければ唯の「面白いお話だ」で終わっていたでしょう。
  小説の「あとがき」は、書くことになった動機や執筆中・出版後のエピソードなど随想的文章が多いと思うのですが、これには一読して「ナンジャこれは?」と感じました。 自己解題がその意図であることはわかりましたが、暫くして「この小説が雄大な『言葉のアイロニー』なのだ」と思いました。
 金庸自身この「あとがき」に『描きたかったのは、人間における普遍的な性格であり、政治生活の中に常時見られる現象』と書いています。 更にその「仮託(抽象化)」が巧みゆえ、狭義の「政治」だけではなく『社会的存在としての人間のありよう』まで描いていると思います。
 これまでも、この「あとがき」をモチーフに妄言虚言を綴ってきましたが、最後に又、文章を辿りながら想うところをつらつら書いてみます。 重複が多く、何だか書き残したことが山ほどあるのですが、まとまらないしキリがないので「笑傲江湖」はこれにて一件落着にします。 
 次は「社会的存在としての人間ドラマ」である「笑傲江湖」と対となる、「個人的問題(アイデンティティ)を突詰めようとした人間ドラマ」である「天龍八部」について書いてみたいと思います。

 本文は続きにて・・・・

 『智者と勇者の大多数は積極的で進取的である。 道徳の基準が彼らを二つのグループに分けている。 大多数の人の為に福利をもたらすことを努力目標として考えている人が善人で、おのれの権力や名誉、地位、物質的な欲望にしか眼を向けず、他人に害を与える者が悪人である。 善人と悪人のスケールの大きさは、その恩恵を施した者や、損害を与えた者の人数と程度によって決まる。

 いやに簡単で解りやすい「政治家」つまり「社会的存在としての人間」の「善・悪」定義ですが、これが結構曲者です。 まず「福利」という、本来はその人・時代・情況によって価値基準が大きく異なる「相対的」なものを目的とし、「努力目標」という「個人の意思・主観的」なもので捉えること自体矛盾しています。 そしてそれを評価するのは「道徳」という「制度としての思想(観念)」という「モノサシ」です。 この「制度としての思想(観念)」は、随時変化しながらも無意識のように「社会的存在としての人間」を縛っています。 「善・悪」に絶対的なものはないが、他人・社会が決定・結果評価するものですよ。 というまあ当たり前のことでしょうか。

 『政治は、ほとんどの時期において、悪人が権力を握っているので、絶えず誰かが権力者に取って替わろうとするものである。

 「人間は全て悪人だ」みたいな、又スッキリした定義づけです。
 自分の欲得にのみ執心しているような権力者は古今東西後を絶ちません。 しかし、ご本人は「皆の為に良かれ」と思っても、「権力」者つまり「全体の福利の分配を決定できる力」を得ている者は、その人以外の「非権力者」からすれば、「権力」を行使すること自体が欲得によるものとしかみえず、「悪」とみなされるのが常でしょう。 また、ある人にとっては「良かれ」ということが、他者にとっては「福利を奪う」ものであったり、結果が大多数の人にとって「福利」をもたらさないものであったなら、これも「悪」とされます。
 そして、この「全体の福利の分配」を決定できる「権力」こそ、「社会的存在としての人間」の最大の「欲」、いわゆる「権力欲」であり、その実現化・最大化の争いが「権力闘争」です。
 
 『改革を押し進めようとする者もいるし、改革に希望を持たないが、さりとて実権派とともに悪事を働きたくない者もいる。 闘争の渦から身を引いて、わが身の保全のみを図ろうというのが、彼らの選択である。それゆえ、これまでには、実権派、造反派、改革派、隠士が存在した。

 人は、情況に対し自らの「意思により」様々な「かかわり方」をします。 それは、前記のように「道徳」という無意識の制度に縛られつつも、「権力欲」の量、質(方向)により『実権派、造反派、改革派、隠士』と分類できるということでしょう。 隠士だけが情況に「かかわらない」という「方向」がまったく違うものの様におもえますし、私も最初はそう読んだのですが、どうも後段を読むと違うようです。

 『中国の伝統的観念では、人々に「学びて優なれば則ち仕え」、孔子のように「其の不可なることを知りて而も之を為せ」と奨励してきた。 だが、隠士についても、孤高であると、かなり高い評価を与えている。 隠士は社会に対し、積極的な貢献がないものの、彼らの行為は、権力争いうをする輩とは明らかに異なっており、別のタイプとして存在している。中国人は、道徳においては、人に対して寛大である。他人に害を与えないというだけで善人に数えられるのだ。 論語では、大勢の隠者について記載している。・・(略)・・孔子は彼らを非常に尊敬している。 彼らの生き方には同意していないのだが。――』 (以下含め論語からの引用は一部省略)

 「隠士」といわれるタイプ、つまり情況に「かかわろうとしない」ことも「かかわりかた」のひとつの選択で、「他者の福利を侵害しなけば善しとします」よ、ということでしょう。 ここまでの「隠士(隠者)」とは、竹林の七賢など一般的(旧来型)にいわれる隠者のことと思います。 しかし、ここで金庸は隠者にも三つのタイプがあると「論語」を引用しつつ、さらに明確な結論を出しています。

 『孔子は隠者を三つのタイプに分けた。 ・・(略)・・おのれの意志を放棄せずおのれの尊厳を犠牲にしないタイプ。 ・・(略)・・意志と尊厳は犠牲にしているが言行は道理がかなっているタイプ。 ・・(略)・・世間から逃れて隠居し、放言をして悪事を働かなければ、政治にも参与しないタイプ。 ・・(略)・・孔子は彼らをかなり高く評価しており、明らかに隠者にも積極的な面があると見ている。

 ここの『孔子は彼らをかなり高く評価・・・』の『彼ら』が三つのタイプ全部を指すのか、最後の『世間から逃れて隠居し・・・・』のタイプのみを指すのか、解釈の如何ですが、私は三つとも指していると思います。 それは、次の文章に繋がるゆえです。
 
 『政治活動に参加する場合、己の意志と尊厳を捨てざるを得ないのは、仕方の無いことである。 ・・(略)・・肝心な点は「人に仕える」ということである。 大衆の利益のために、政治に従事すれば、人に仕えなければならない。 原則を堅持しながら公衆のために働き、功名や富貴は望まない、上司の命令を聞かなくてはならなくとも、それは「隠士」といえる。――一般の定義でいう「隠士」とは、個性の開放と自由を求めて人に仕えない人のことである。

 「スカッ」と明快な、「社会的存在としての人間」の「あるべき姿」の結論です。
 『大衆の利益』つまり『「大多数の人の為に福利をもたらす』為には、「政治」=社会的活動に従事しなくてはならない。 社会的活動では、人に仕えるつまり広義には「タテヨコの人間関係」の中に入り込み活動せざるを得ない。 ゆえ、タテ関係から『上司の命令を聞かなくてはならな』いこともある。 これは往々にして、『己の意志と尊厳を捨てざるを得ない』こともあろう。 しかし、『原則を堅持しながら公衆のために働き、功名や富貴は望まない』つまり「善人であろうと努力すること」が重要である。 これこそ「現在形の『隠士』である、と。
 まず、『原則を堅持し』の「原則」とは、「道徳」という「制度」ではなく、金庸の化身たる令狐冲が、物語の中で再発見してきた人間関係の基本である「義」であると思います。
 そして、最後の『一般の定義でいう「隠士」とは、・・・・・人に仕えない人のことである』というのは、前述した「一般的(旧来型)にいわれる隠者」つまり『世間から逃れて隠居し、放言をして悪事を働かなければ、政治にも参与しないタイプ』と同意でしょう。 この旧来型の「隠者」を金庸は丁重かつ明確に否定していると思います。 これは、後述される「劉正風」「曲洋」のコンビと「江南四友」を「かなり冷たく扱っている」ことにも感じとれます。
 ただし、あえて「・・・・・」とした、『個性の開放と自由を求めて』という、「近代思想(精神)」と同義といえる「目的」は、「隠士」の在り様に拘らず重要です。

 ここからは、論の「起承転結」の順番が入れ替わっているような展開です。 少々自慢話的に読めますが、さておき。

 『私が武侠小説を書くのは、ほとんどの小説の様に人間性を描きたいからである。 「笑傲江湖」を執筆していた数年もの間は、中国の文化大革命における権力闘争が、すさまじかった時期であった。 実権派と造反派が権力闘争の為に、極端な手段も辞さず、人間性の汚らわしさが集中して露見していた。 私は毎日「明報」の社説を書いていて、政治の下劣な行為に対し、強烈な反感を抱いていたので、ごく自然にそれが、毎日少しずつ書いている武侠小説の中に反映されていった。 この小説は、わざと文革を当てこすっているわけではなく、小説の中の幾人かの登場人物を通して、中国に三千年あまり続いてきた、政治生活における普遍的な現象を若干描きたかったにすぎない。 当てこすりの強い小説は、さほど大きな意義がない。 政治情況は目まぐるしく変るもので、人間性を描くことのみが比較的長期的な価値を持つ。

 肝心なのは、金庸がこの小説を書いたときから 『小説の中の幾人かの登場人物を通して、中国に三千年あまり続いてきた、政治生活における普遍的な現象を若干描きたかったにすぎない。 当てこすりの強い小説は、さほど大きな意義がない。 政治情況は目まぐるしく変るもので、人間性を描くことのみが比較的長期的な価値を持つ。』 と認識していたであろうことです。 これは本作が、本当の「諷刺」小説といえる要因であると思います。
 そして、伊藤整が優れた諷刺文学の要素とした、『 「諷刺文学の特徴でもあり弱点でもある「一時性」という性格が働いているので、時代が変り、読者の環境が変ると、それ等の作品が何を諷刺しているのか分からなくなる。」 「諷刺的性格が写実的または空想的性格に転化しながらある作品が読まれる」 「質的変化に耐えながら読者を持ち続けることが、大多数の一流作品の運命であり、かつその力量の証明をなすもの」 「ある現象の本質は、よき認識者によって捕らえられ描き出された時は、そのまま同型のあらゆる現象の本質となる」 「作品は、もとの対象が忘却され、それから切り離されても、独立した作品としての現実感や強烈な印象を読むものに与える」 』という定義に、この「ファンタジー(空想的性格)たる武侠小説『笑傲江湖』」は的中していると思います。

 『一切を顧みずに権力を奪おうとするのは、国内外を問わず、古今の政治生活の基本的な情況である。 任我行、東方不敗、岳不群、左冷禅は私の構想では、主に武林の使い手ではなくて、政治的人物であった。 林平之、向問天、方証大師、冲虚道人、定間太師、莫大先生、余滄海らも、みな政治的人物である。 このような様々な人物は、どの王朝にもいたし、たいてい他の国家にも存在する。

 これら登場人物は、個人的生活の部分はほぼ「削り去られ」、「政治的人物」つまり社会的存在としての側面のみ描かれており、魅力ある「悪人」像を創りあげています。 イメージがあからさまかつ強烈に某大政治家になって「向こう側」に往ってしまった「東方不敗」は別格として、岳不群の暗躍・悪辣さ・情けなさは涙が出るほどホレボレします。
 そして、彼らがを繰り広げる「少林寺の三戦」「嵩山会議」などは、丁々発止、血沸き肉踊る「権力闘争」描写として群を抜いています。

 「永遠に栄え、江湖を支配す」というスローガンは、六〇年代には既に小説の中に取り入れていた。 任我行が権力を握ったのちに、腐敗していったのは、人間性の普遍的な現象である。 これらは、本を書き上げた後に、つけ足したり改作したりしたものではない。
 「笑傲江湖」が、「明報」に連載されていたとき、サイゴンの中国語、ベトナム語、フランス語の各新聞のうち合計二十一紙が同時にこれを転載していた。 南ベトナムの国会で議論を戦わせるとき、しばしば議員が相手方を「岳不群」(偽君子)、「左冷禅」(覇権主義者)だと非難したりした。 大方当時の南ベトナムの政治が揺れていたので、一般人がとりわけ政治闘争に興味を持っていたのだろう。


 ここから「隠士」というものに立ち戻ってきます。 

 令狐冲は生まれつきの「隠士」で、権力には興味を持たない。 盈盈も「隠士」である。彼女は江湖の群雄に対し生死の与奪を握っていたが、むしろ洛陽のみすぼらしい路地で、隠居をしながら琴や簫を演奏し、独りで楽しむことを好んだ。 彼女は生命の中において、個人の自由や個性の伸長しか重視していない。 ただひとつ、重んじているのは愛情である。 このお嬢さんは非常に恥ずかしがり屋であるが、愛情については積極的である。 一方、想いのたけを岳霊珊に寄せていたとき令狐冲は自由が得られなかった。 ただ。大通りで、盈盈とともに馬車の中にいて、岳霊珊への一途な想いがついに消えた時、彼は初めて心の解脱を得たのである。

 ここでいう『隠士』は旧来型ではなく、前述の『個性の開放と自由を求めて』という、「近代思想(精神)」と同義といえる「目的」をもち、『原則を堅持しながら公衆のために働き、功名や富貴は望まない』生き方をする人のことです。 そして、令狐冲も盈盈も一切「逃げ隠れ」せず「江湖風波険悪」の中「己の思う所」を何とか折り合いをつけるべく、必死に生きていきます。 ということになるのですが、ここで、盈盈について「ただひとつ、重んじているのは愛情」と言っていますが、「愛情」って「欲得」とどう違うの・・・みたいな、どうももうひとつ「奥行きがありそう」な「匂いがプンプン」なのが又魅力です。
 まあ、令狐冲が「それでお前はどう思ううのだ、どうするんだ」と自問自答し、その答えに従って生きていく姿や、盈盈の『嵩山会議』での桃谷六仙を使った展開など、知力を費やした戦略展開はは、書いていて楽しいだろうなあ、元気出るだろうな・・・と感じました。 
 『大通りで、盈盈とともに馬車の中にいて・・・』、この林平之の復讐劇から続く場面は「政治」と「情」、「欲」と「理」がからみあって、特に好きな処です。 次回映像化するときは是非とも作者の真意にそった製作をしてほしいと思っています。

 本書が終結する間際、盈盈は令狐冲の手首を握りしめながら、「この任盈盈も一生、大きな猿と一緒に繋がれて、離れられないなんてね」と嘆じた。 盈盈の愛情は満たされて、彼女は満足しただろうが、令狐冲の自由はまた縛られてしまった。 あるいは、儀琳の相手に何も求めない愛情の中にいて、彼の個性ははじめて、ほとんど拘束を受けないのかもしれない。
 
 この記事で霊珊・盈盈・儀琳の生き方の差を考えてみましたが、社会生活における人間関係では、「しっぺ返し戦略(Tit for Tat)」、つまり「相手が裏切るまで決してこちらから裏切らない、一度相手が裏切っても次に信じてくれたらこちらも信じる」という「義」が原則になります。 しかし、個人的関係では「相手に何も求めない愛情」つまり「お人好し戦略」の相手の方が、拘束を受けない、ということです。
 反語的に捉えれば、「自由を得るための最適解は、逆に自由を阻害する」「人間関係において、絶対的自由などありえない」「原則(「義」)にこだわるゆえの不自由は、見かけの自由つまり己の意志と尊厳より重要だ」ということでしょうか・・・。

 中国の伝統的な芸術において、詩歌、散文、戯曲、絵画を問わず、個性の開放は、ずっと最も突出したテーマであった。 時代が乱れれば乱れるほど、人民の生活が苦しければ苦しいほど、このテーマは突出した。
 「人江湖にありて、身己に由らず」、引退するのも容易なことではない。 劉正風は芸術上の自由を求め、莫逆の友情を重んじて、引退しようとしたし、梅荘の江南四友は、孤山で実名を隠して、琴棋書画の楽しみを享受しようとしたが、彼らはそれを果たせず、結局その身を殉じた。 なぜならば、権力闘争(政治)がそれを許さなかったからである。

 「現在」では社会的人間関係の外で「隠居」することは、「個性の開放と自由」というその目的と、相反する結末しかもたらさないのではないか、ということが劉正風たちの物語なのでは、こういった旧来型の隠者の在り様を、「不可能」と結論つけていると思います。 そして、’80年という時期を鑑みれば、金庸の、「私はこれからも『情況』にかかわっていくぞ」という決意・宣言ともとれます。

 郭靖のような、捨て身で国難にはせ参じる「其の不可なることを知りて而もこれを為す」大侠客は、道徳的にはより一層肯定されるべきである。 令狐冲は大侠客ではなく、陶淵明のような、自由と個性の開放を求める隠士である。 風清揚は虚脱感と、慙愧の念と、懊悩に苛まれて引退した。 それに対し、令狐冲は生まれながらにして束縛を受けない人物である。 黒木崖では、大権を握っていたのが楊蓮亭だろうが任我行だろうが、周りがちょっと笑っただけでも、殺される憂き目にあっただろうし、傲慢な態度はなおさら許されなかっただろう。 「江湖を傲然と笑い飛ばす」という自由自在さは、令狐冲のような人間が追求する目標である。

 郭靖の、『道徳的にはより一層肯定されるべき』という部分は、どうも皮相的に読めるのですが、これはさておき。
 令狐冲の生まれもった性格、「江湖を傲然と笑い飛ばす」とは、「傲慢」「鈍感」「無関心」「自虐」とかではなく「寛容」「鷹揚」更に今風には「ポジティブ」「プラス思考」という姿勢であると思います。

 描きたかったのは、人間における普遍的性格であり、政治生活の中に常時見られる現象なので、本書には歴史的背景が無い。 それは、類似する情景が、いかなる時代にも起きうることを示している。
 
 『類似する情景が、いかなる時代にも起きうる』とは、これは、「今起きている」それも「貴方の周りことですよ」という金庸の投げかけです。

 金庸の小説、特に長編の「男の主人公」を辿っていくと、生い立ち・性格等を「モデル」的に設定し、そこに自身を「仮託」して、「こんなときどうする、それでいいのか、こうあるべきではないか」など「物語の中で自分自身と対話するように」物語を進めていっています。 それゆえ読者も主人公に感情移入しやすく、愛着をもたれるのではないかと想います。 特に令狐冲の『「江湖を傲然と笑い飛ばす」という自由自在さ』は、「今」を生きる多数の人間にとって「私自身を元気付けるもうひとりの私」のような存在なのです。
 でもでも・・・、我々小人は、日々のドタバタの中で、金庸と令狐冲に元気を貰いながらも、『「江湖を傲然と笑い飛ばす」という自由自在さ、それは見果てぬ夢なのか?」~「笑傲江湖」的自由自在、那是没看完夢嗎?~と、呟いてしまうのです。
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