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天龍八部〈5〉草原の王国天龍八部〈5〉草原の王国
(2002/07)
岡崎 由美、金 庸 他

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 余談ですが久しぶりに金庸Wiki(中国語)をみたらこんな記事がありました。
 『接受訪談時,金庸認為自己像張無忌(《倚天屠龍記》),妻子像夏青青(《碧血劍》)。』
 「金庸は自分が「張無忌」で、奥さんが「夏青青」だ、って言ってました」 ということでしょうが、張無忌はさておき、以前碧血剣の記事で「もしかして奥さん=夏青青?」と書いたのですが本当だったのでしょうかね。
  さて本題は「天龍八部」です。 お話はどーんと空間を飛び、女真・契丹・崑崙まで登場、阿紫らしさ全開・丁春秋御登場という巻ですが、ストーリーは荒っぽく大雑把な展開です。 息切れ?あるいは代筆部分なのでいまひとつなのでしょうか? そう第五巻の表紙は「耶律洪基」ですね。 
 
 第4回から続きます。
 さて、今回は「虚竹」の段です。 孤児として少林寺で育ち、ひたすら如来法(仏法)修行をし戒律を守ってきたのでしょうが、「はじめてのおつかい」で世間法(世法)に出た途端、滅茶苦茶な「渡る世間の鬼」達の騒動に巻き込まれ、あれよあれよと門派の名実の長となってしまいます。 更に破戒の極みと云える出自を知り、両親の悲惨な死に立ち会うこととなるも、最後は王家の皇女の婿さんになってしまう。 とまあ所謂果報者です。 因果応報のホントの意味はね、とか、過剰な欲があっての修行だよね、 とか、破りたくなるが故の戒律だよ、 など揶揄するのはさておき。 こちら側(読者を含む)の我々世間の俗人にとって「幸運」「美味しい」ことが、仏門というあちら側の住人であった虚竹にとっては「望まぬ」「苦しみ」であるという「アンビバレンツ」さ、「好悪喜怒哀楽」が「ふつうの人」とは裏返し、という処が面白さを生んでいると思います。 虚竹の前では「世間の悪鬼」も立つ瀬が無くなるほどです。

 虚竹が登場する場面は「流石金庸の筆力全開」の感です。 
 珍瓏の場面では、虚竹の偶然の一手に至るまでに、世間の欲にまみれた人達が虚しくも敗退し自死寸前まで追い込まれるのですが、ここは作者が親切に説明してくれています。
 禅宗の要旨が「頓悟」であることは存じておられよう。 棋道においても同じこと。』
 『この珍瓏は千変万化、人それぞれの弱点に応じて幻惑を仕掛けてくる。 段誉の場合は、愛着が強すぎて石を捨てられず、慕容復jは権勢に執心すぎて、思い切り良く石を棄てても、利点を手放そうとしなかったのが敗因だった。 段延慶の痛恨事は、体が損なわれたために、家伝の武芸を捨て、邪道の技を学ばざるを得なくなったことである。 心の隙につけこまれ、動揺を抑えられなくなった。』
 『勝負つけがたい難局が、虚竹の無心の一手で解脱を得るとは・・・・』

 「珍瓏」:人生における難題 を乗り越えるには「無心」と「頓悟」が肝心とでも言いましょうか・・・。 「無心」:自らの心をまっさらにして自らの想い・思索で判断すること。 「頓悟」:突然・偶然の「ヒラメキ」・・・など、比喩(メタファー)のほどはもっと重く深いのでしょうが・・・。

 天山童姥が彼の「信仰」を全否定するが如く「破戒」に導く言い回しや仕掛け、そして反論しつつも破戒の上世間の欲に染まっていく虚竹の反応と変化。 「八荒六合惟我独尊功」なんて名前だけでも大笑い、中身はもう世俗の欲にドップリ、何でも来いですからね・・・。 この辺のくだりは何度読んでも面白い。

 さて、ここからは金庸ご自身のことです。
 金庸は、仏教に帰依するようになった経緯を、この日本の宗教家との対談集で語っています。 以下抜粋します。

 『私が仏の教えに帰依したのは、高僧や有名な在家信者の教えに導かれたものではありません。 それは非常につらい、苦難に満ちた過程でした。』
 『1976年10月、私の長男の伝侠が突然、アメリカのコロンビア大学で自殺してしまったのです。 ・・・私も息子のあとを追って自殺しようかと思ったほど、悲しみにさいなまれました。』
 『そして、こんな疑問が突き上げてきたのです。 「どうして自殺しなければならなかったのか?・・・」』
 『それから一年の間に「生と死」の深淵を探求するため、数え切れないほどの書物を読破しました。 ・・・ ・・・私の心に巣くった「人間の生死」という大きな疑問に回答を与えてはくれませんでした。 この疑問はいうまでもなく、宗教の中へ入っていってこそ、回答が得られるものだったのです。 ・・・ キリスト教の教義は私の考え方にはなじまないことがはっきり分かりました。 そこで次に私は、仏教書のなかに、その解答を求めたのです。』
 『簡単な入門書を数冊読んだのですが、そこには迷信と虚妄の要素が色濃く、真実の世界を認識するためのものではないと思いました。』
 『のちに「雑阿含経」「中阿含経」「長阿含経」に取り組み、何ヶ月も寝食を忘れ、研鑽に没頭し、一心に思索に打ち込んだのです。 すると、突然ひらめくものがあったのです。 「真理は仏教のなかにあったのだ。 必ずやそうにちがいない」と。
 『漢訳仏典は難しすぎます。 ・・・・「原始仏典」の英訳本全巻を購入しました。 「原始仏典」とは、・・・釈迦牟尼(釈尊)の説法に最も近い・・・「南伝仏典」とも呼ばれます。・・・「小乗仏典」と貶称・・・。』
 『「南伝仏典」の内容は、感銘で飾り気が無く、人生の真実に十分、接近しており・・・理解し受け入れることに困難はありませんでした。』
 『私の信仰はここから生まれました。 そして信じるようになりました。 ・・・人生における真実の道理-つまり「仏法」・・・ 約一年の歳月が流れていました。』
 『次に大乗経典を研鑽しました。 ・・・・ これらの仏典が、「南伝仏典」とは異なり、神秘的で不可思議なことを誇張する叙述ばかりなのです。』
 『・・・「妙法蓮華経」を読むにいたり、・・・わかった。・・・大乗経典がいいたかったことはみな、この「妙法」だった・・・。 大乗経典は、・・・巧妙な方法を用いて仏法を宣揚し、説き明かしたもの。 仏陀は・・・多様で身近な比喩を使って、・・・方便を使う場合もある。 それも仏法を人々に広めるためなのです。』
 『「妙法」。この二字の意味をわきまえるようになって、ようやく大乗経典を幻想で満たしている誇張にも反感をいだかなくなりました。 およそ二年の歳月がかかりました。』


 最初にこれを読んだ時、仏教に帰依するきっかけが「息子さんの自死」であり、金庸が自分自身の思索を突き詰めた結果の信仰であったことに正直驚きました。
 「天龍八部」は’63年に新聞連載開始、’66年に終了。 更に代筆部分を書き直すなどして大幅に改訂したのが「後記」の日付’78年10月です。 よって、連載開始時にはまだ仏教に帰依はしていなかったであろうこと。 そして、突然の「不幸」と「苦しみ」を経て仏教への信仰に辿りついた時期と、「天龍八部」を書き直し期間が重なっています。 前記の「人生における真実の道理を突き詰めていく思索」が「天龍八部」のお話に大きく反映していることは間違いないことです。
 
 一方、金庸の小説で頻繁に起きる「突然の出来事・出会い」「あまりにも安易な武功の習得」など、物語ではある程度お約束としてあるべき「合理性」「因果律」や、武術としては当たり前の「修行」「努力」などを否定しているようなストーリーは、「頓悟」という言葉に喩えられる「人生の偶然性」を敢えてアンビバレントに強調しているのだと思っています。 「何かに「因」を押し付けることのできない、しかし何かとの「縁」がある『偶然』の「好悪喜怒哀楽」」をすべて引きうけ、自分自身で何とかしていくことが「人間の生」である。 只、その後の虚竹がそうであるようにまず「無心」ありき、そんな思いが詰まった物語がこの作家の一貫した立ち位置だと思います。

 そして、喬(蕭)峯の最後「自死」を選ばざるを得なかった「生」は、この’76年から数年間の金庸の「非常につらい、苦難に満ちた過程」と重なっているであろうと読んでしまうのですが、いかがでしょうか・・・。

 次回はこの喬(蕭)峯の段です

 <参考> ・金庸wiki   ・金庸中国語wiki  ・小説天龍八部wiki   ・小説天龍八部中国語wiki  ・仏教天龍八部wiki  ・大理国のwiki  ・雲南大理の観光案内はこのサイトと、 このサイトが充実
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