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 小桂子こと韋小宝は、ここが皇宮とも知らず「北京最大の女郎屋か」なんて不遜な態度でウロウロする「練武場」に迷い込み、小玄子こと若き康煕帝と出合うのですが。 そこの格闘の相手役の人形が、どうも「充気娃娃」 つまり、日本語で「オランダ人の奥様」に視えてしょうがないです。 動物の皮や布で造って膨らませて・・・『鰲拝1号!』とか名前をつけて不満をぶつけていたんでしょうね(笑)。 まさか「陳円円2号」とかいたりして(爆)
  ninngyou01

 この本に続いて同じ題名のこの本を読みました。
 
康煕帝伝 (東洋文庫 (155))康煕帝伝 (東洋文庫 (155))
(1970/01)
ブーヴェ矢沢 利彦

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 康煕後期にフランスから来た宣教師の本国幹部への報告書です。 「外からの目」というのが基軸で「ベタ誉め」の部分が多いのですが、注や解説に背景や付帯する出来事を詳しく書いてあり、そちらも面白いですね。 学問的難しい話はさておき、面白ネタだけ・・・。
 小玄子こと「康煕帝:愛新覚羅玄」くんは、夭折した父順治帝の遺詔により8歳で即位したのですが、それまでは、皇子がよく言われる「宦官と乳母」だけしか相手がいない「宮殿の奥」で育ったわけではないようです。
 『一説によると、宮中では育てられず北京のあまり見栄をはらずにすむ地区で、つつましやかな生活をしているひとたちによって養われたということであり、宦官がかれの父の死後、彼を奉戴するために探しに来た時、かれは同年輩の少年たちと路上で遊んでいたとされている。』
 中国いや世界史上稀代の名君といわれる「人間」になっていくには、幼少時の「市井」感覚が影響したのかもしれません。 小桂子みたいな「オバカ」な幼友達がいたんでしょうね、それでついつい・・・お互い馴れ馴れしく(笑)。

 「皇帝の個人的密偵が沢山いて、けしからん官吏を粛清しまくった・・・」 「満人官吏は高官に至るまで結構漢人に大借金し破産するもの多く、「徳政令」を出した・・・」
 小桂子みたいな「闇の部下」がいたんでしょうし、バクチでセコイ漢人にボロ負けしたり、詐欺まがいの商売で騙されたりした、お人好しの「満人」(まあ韃靼の田舎もんであることは確か)が多かったんでしょうね。 借金の話はここにも沢山出てきます(笑)。

 質素倹約といわれていますが、普段着(あの黄色の皇帝服は公式行事用)はこんなだったようです。
 『「たいそう粗末な絹の服」・・・「羊毛羅紗の外套」・・・夏の間は一種の「蕁麻(イラクサ)織の粗末な上着」 ・・・ 立派なものと認めるのは、夏中、帽子の縁につけていらっしゃる一個の大真珠であります。・・・この大真珠はいわゆる「東珠」をさすものであろう・・・。』
 東珠は満人・女真の故郷の河で産する「珍宝」。 これをつけるのは最高権力者のみのようです。 某重要登場人物の本名「東珠」はこんなトコからきてるんですね。 このお話の後々ネタになってきます(笑)。
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