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一晩で覚えるビジネスマナー [好感度アップ]の54のルール一晩で覚えるビジネスマナー [好感度アップ]の54のルール
(2007/02/22)
古谷 治子

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 ビジネスマナーが一晩で身につくなら、「独孤九剣」も一晩で覚えられるかな?
 さて、金庸の登場人物が「行き当たりばったりに、且ついとも簡単に至高の武術を会得する」のはご都合主義でおかしいという話があります。 所詮は「お話」、「運命論」が好きなお国柄ではありますが、実は令狐冲は「会得すべくして得た」のです。 この方とよく似た状態でもあったのです。
 令狐冲は面壁中に「岳霊珊」の愛(思春期的なものではありますが)と、華山派大師兄としての自分の武術への信頼という自分が自分たるニ本柱が揺らぎます。 前者の「情」は義兄妹的な非常に微妙なものなのでこれはさておきます。 後者は洞窟の『五嶽剣派、厚顔無恥、決戦敗北、詭計妖策』の罵詈雑言とともに描かれたあの壁画によるものです。
 魔教長老は、華山派のみならず五嶽剣派の全ての技(=A)を、尽く破った・否定した技(=B)を生み出し、そのうえ五嶽剣派の陰謀や罠により洞窟で憤死しました。 令狐冲は自分の武術が否定されるだけではなく、正派としてのモラルまでも否定され、「出口無し」でした。 岳夫妻の「試験」でこれは具現し、さらに落ち込み「頭の中マッシロ」です。 そこへ試金石たる「万里独行田伯光」がやってきました。 田兄は「門派の決め事無し、世俗のモラル無し(笑)但し気概あり」、ある意味羨ましい自由人です。 あの手この手を使いますが勝てません。 そこへ風大師叔が登場するわけです。
 風大師叔の「型にこだわらず自由に・・・」という教唆は、「自由人」を超える(勝つ)絶好のカウンセリングになります。 そして、剣術の技術的な部分では、崩壊した「正(A)」に対応する「反(B)」ではなく、「合(C)」たる独孤九剣を容易に受容れ会得できる状態だったのです。
 この流れは弁証法の初歩の逸話のように思え中々面白いのです。 AでもBでもないC・・・。 相変わらずAだBだ仰ってる師父を乗り越えてしまったわけです。 但し、「情」の部分はそう「理論的」にはいきません。

 そして、風大師叔(金庸先生)の声が聞こえます。
 「型に拘泥するな」 「技を混ぜて使うのではなく技をなくせ」 「三・四十手を融合させて、一気に忘れよ」 「その剣法を学ぶ要諦は『悟る』ことだ、暗記ではない」 「人が剣法を使うのであって剣法が人を使うのではない」 「人は生きているが剣法は死んでいる。生きている者が死んだ剣法に縛られてはならぬ」・・・・。
 型・剣術は色々なものの喩えであると思います。 書かれた当時の時代性からいえば、こんなものや、こんなものになるわけですが、作者はそれだけを指しているわけではなく、人の生き方を縛っている「こう在るべき」という全てのものだと思います。

 読者は、令狐冲のように偶然風大師叔にめぐり合えるはずがありません。 風清楊も「独孤九剣」も令狐冲の「夢の中の出来事」だったのでしょう。 どんな局面でも自分で切り抜けるしかないのです。 それを「作者が自分自身に言い聞かせるように」読者に語っているような気がします。 教則本なら街角で10円で売っているかもしれません(笑)。* そしてもしも、「独孤九剣を習って後悔せぬか?」と問われたら、カラ元気でも「しません」と言いましょう(笑)。
 *カンフーハッスルの「オオラス」シーン(笑)

独孤九剣に係わる妄想編はこの辺で・・・。
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