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 前回あたりから「神龍教」が表舞台に登場しましたね。 この美人教主夫人「蘇荃」様が予想以上に魅惑的で画面に釘付けになってしまいそうですが・・・、この辺は原作に書いてあることを相当カットしていますねえ。 単にカットしただけで「改編」という流れでは無いし、自主規制?それとも、噂の検閲でしょうか?

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 丁度、小宝と双児が五台山から戻る道行で、俺は「孫悟空」・・・そうするとお前は「猪八戒?」・・・いやいや、貴方は「善財童子」で私は「龍女」・・・、というようなみたいな「喩」話が出てきます。 ドラマでは「いつまでもお前と一緒・・・」みたいな惚気話の雰囲気でしたが、ここは、作者のこの辺からレトリック・『「喩」話』・メタモードですよ・・・という宣言ですね。
 
 「影射」という言葉があるそうです、風刺・皮肉・あてこすり。 又、歴史的出来事・ドラマをねたに今を諷刺することを「借古諷今」と言うのだそうです。 今回カットされている部分は、これまで「神龍教」が当時の「某巨大政党」を「影射」したものだ・・・、と専ら言われる部分ですね。 元々、膨大な『「喩」話』の蓄積がかの国の論説の軸ではないかとも思えるのですが、更に『「喩」話』を、巧みにというか最後の頃はあからさまに使って、組織内外の権力・政治闘争をしてきたのがかつての巨大政党でした。

 「教主仙福永享,壽與天齊」(毛主席萬歲,萬歲,萬萬歲)、「教主寶訓,永記於心」(毛主席教導我們說....)
 最強で権威のある老教主が、若い夫人と一緒に(この人を「絶世の美人」としてしまうのもあてこすりだが・・・)なってから、かつて教主とともに神龍教を立ち上げた古参より、若手の方が優遇されるようになった、特に「子供」達の部隊を組織し古参を粛清していく。 老教主は「色ボケ」(英雄三手)したんではないか・・・など、あからさまなあてこすりです。(リンクをクリックすると「喩」にいきます)。

 鹿鼎記の前に書かれた「笑傲江湖」では、大陸側の悪辣な政治闘争を、物語に巧みに「仮託(抽象化)」しつつ、『人間における普遍的な性格であり、政治生活の中に常時見られる現象』を描こうとしていったと作者は語っています。(小生のこの記事を参照ください)  しかし『鹿鼎記』では、更に悪化する情況に参ってきたのか、「直接的」なあてこすりになり、「笑うしかない」描き方になってきています。 『鹿鼎記』で小説を書くのをやめたのは、「この時期の情況へ係わるには「小説」があまりに無力である」という思いに至ったのかもしれません。

 ドラマでカットされた部分のメタファーを並べていってみようと想いましたが、ここではその中の一件だけ・・・。
 小宝が、デブ行者(これも「鹿をさして馬と為す」という当時の多くの論調への皮肉であるのはさておき・・・)に、石碑の「篆文」を大嘘・ハッタリで「四十二章経」の在処の文面にしてしまったのはドラマでも描かれていますが、その後の「陸先生」の「翻訳」の場面は、当時の某大政党が展開した「影射史学(文学)」への強烈な「影射」です。
 文化人・陸先生は、「自己保身」「阿諛追従」の手段として、それも苦労に苦労し、文字数合わせまでして長文を作り出し小宝に憶えこませるのですが・・・。 小宝が「夫人」のご機嫌取りにと、余計な言葉を追加した為辻褄が合わなくなり、陸先生は青くなるのです。 しかし、教主・夫人とも、元々そんな石碑の文章など信用しているはずも無く、より「役に立ちそうな」小宝を「上手く言い包め」四十二章経奪取の「ノルマ」を課してしまうわけです。
 目的・結論の逆算から組み立てる「影射史学」は、「石に彫った蝌蚪(かと)=おたまじゃくし」にすぎない、という強烈な皮肉・批判です。 大法螺、巧みな話術、「喩」話、言葉遊びで、笑わすだけではないのですね。
 この辺から突き詰めていくと、かの国の「正史」といわれるものは、前の王朝の記録を次の王朝が書くわけで、「史官の良心」という前提があったとしても、「ご都合」のいい内容にならざるをえないのですが・・・手に負えませんので、閑話休題ですね。

 今日はここまでです。 そう、『華夷変態』!、建寧公主と小宝のお話も動き出してますね。 この辺はそのうち・・・。

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