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 先週の金曜の夜は、ドラマ「鹿鼎記」を視ながら寝てしまいました。 大旗英雄伝以来ですね、雪山飛狐は視るのをやめましたが・・・。 さて、前回に続きます。
 倚天屠龍記『張無忌』について、迷子さんからコメントをいただいたので、少々寄り道をします。 コメント部分が斜字です。

 
倚天屠龍記〈1〉呪われた宝刀 (金庸武侠小説集)倚天屠龍記〈1〉呪われた宝刀 (金庸武侠小説集)
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金 庸岡崎 由美

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>倚天屠龍記の張無忌って、すごい武功を次々と身につけ、明教の教主という地位もゲット・・・ほうりだしたけどね
>なのに、どういうわけか、というかなんというか彼の武功は最初から最後までプライベートにしか発揮されない気がします。

 張無忌の場合、外部から彼に降りかかる・巻き込む「もの」が並大抵のパワーではないですよね。 それで、彼自身からは「何もしていない」ように感じるのですが、各々の局面では「眼の前の相手・情況」に精一杯「情義」をつくして、彼なりに「考えて・判断して」対応しているんです。 可哀想なくらい・・・。 それで目いっぱい。 「自分を見つめる時間(笑)が、あったとすれば「九陽神功」を会得する間なんですが、世間に戻れば又同じドタバタの繰り返し・・・。
 「時代の波に揉まれる」というのが、文字通りあたっていると思うのです。 というか普通の人間の「日常」の姿なのだと想います。 両親が死んで独りになってからの彼の姿、つまりこのお話の核心は・・・。 前半と後半で全く「お話の軸」が変わっちゃうんですがね。

>郭靖のように宋を守るとか、袁承志のように父親の仇を討つとか、陳家洛のように反清復明に恋人まで差し出すかというような大義名分はない。というより、孤島に生まれ、一人で育ったような彼にはそういう価値観もあんまりなくて、だから周囲に流されて生きてくんですよね。
 よくこういった小説にある「・・・の為に」「目標」「あるべき姿」「理想」・・・それに対して「挑戦」「苦悩」「成功」「破滅」の物語りなんて、張無忌は持ちあわせていないのです。 何人かは倚天剣・屠龍刀の奪い合いに喩えられる、『おおげさ、かつ絶望的(倚天剣・屠龍刀を同時に手にすると理屈では破滅する(笑))な「欲得」』に動かされますがね。
 『人生ってそんな立派な「目的」なんてあるの・・・日々精一杯じゃあない?』という作者の想いが後半は見え隠れします。 その中でも「ワタシ」を貫く人々の健気さ・・・。 正邪も善悪もなくなります。

>女たちの眉を描くことも、武林の覇者になるのも、結局は同じさという潔さも感じたりします。
 そうですね。 ラストに至る最後のやりとりは『貴方が一番「大切」と思うのは何?、それがやっぱり一番大切なんだよ』 という問いかけだと想います。
 ただ、最後趙敏だけでなく周芷若もからんでくる「オチ」にしたところが「怖い」し「好き(笑)です」。

 というわけで、一番好きな物語『倚天屠龍記』の張P版の編集が進んでいるようで、予告編が流れています。 のっけのCGで、どうも「好きに」なれそうもないですが・・・あの趙敏さえ馴染めば意外と傑作だったりして(笑)。
 
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