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というわけで、前回から続きます。

 この『鹿鼎記』は、以前書いたように和訳では潔く(笑)割愛してしまった幻の第1章から入ります。 結果的にこの章はプロローグのようになるのですが、此処での仕込みのエピソードは全て後で回収していますから、何故こうなったのか?岡崎先生を一晩問い詰めたい(笑)処です。
 幻の第1章で、「鹿鼎」の由来・文字の獄・有名知識人・陳近南と天地会・・・、と堅めのお話で入ったあと、一転楊州の妓楼で「ヤクザの出入りもどき」のドタバタと共に、我らが(笑)小宝が登場するのです。 金庸お得意の「対比」です。 それ故、暫くは、今度の小説はどんな奴が「主人公」?いつも後から出てくるしねえ・・・などと、読者は迷うと想いますが、第1章は「裏エピソード」で、本編は結局トンでもない「小悪党」が金庸最後の小説を終始駆け巡るわけです。

 以前書いた陳舜臣さんの「中国任侠伝」あとがきでは、こんなことも言っています。
 ただ、たとえば、書こうと思う人が、実在の人物で、ほんとうはどこかで悪いことをしているということだったら、そういう人を任侠ととらえることができないんですよね。 それに似たような人を小説に持ってきてやるということはありますね。・・・・・。
 ここまでの金庸作品の主人公は、千差万別なれど作者が小説世界の中に「創りあげていった」ものでした。 しかし、小宝は違います。 完全に「架空の人物」なれど、その姿は「現実に居る普通の人の本音」によるものです。
 『情義!? それはごもっともだけど・・・先ずは生き残らなくちゃ』  『人生の目的? やっぱり結局「金と地位と女」だよな!』  『理論と実践?努力と誠実?、でも結果は「運」でしょ世の中・・・』
 武侠小説という「仮想空間」に、日常・現実では実現不可能な「あるべき姿」を求めている「読者」に、「かっこつけてもいや実は、・・・建前はともかく本当のところ・・・貴方も『小宝』と同じでしょ」と、これでもか・・・と畳み掛けてくるのです。

 これは、陳先生が、実在の人物そのままでは成り立たない、とした「侠」を、逆に「小悪党な架空の人物」が実在するように書き進めたらどうなるか? という書き方です。
 『侠客行』の『狗雑種』を、金庸がいきついた武侠小説主人公のモデル・・・と書きましたが、韋小宝はこの裏返し・・・「侠」といわれた人の「現実の姿」はこうなのだ、です。 狗雑種は「武功」と「義侠達」を得ますが、小宝は「金と地位」と「女」を得るのです。
 少々横道にそれますが、環境適応性と情義こそ、中華民族のアイデンティティと言われた金庸先生は、魯迅の阿Qについて、「あんな奴は現実にはいないよ」とも言われたのですが、アンチテーゼのような「真説阿Q伝」が「鹿鼎記」です。 韋小宝こそ「阿Q」、Qと小桂子の「桂」は「音が似て」ますよね(笑)。
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 『官でも士でもない「野」で、激動する時代に生き残る為、あらゆる「手」を使いつつも、情義は失わず生きている普通の人、「侠」は具体的な主人公や理想像ではなく、読者たる普通の人、皆の心に「チッポケでも」在るものですよ。』 という「優しさ」が、鹿鼎記という「超アイロニック・パロディ」小説の「書かれていること」だと想います。

 次は「歴史」と「小説」について・・・(大げさだな(笑))、あれやこれや書いてみます。
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