上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
アニマルスピリットアニマルスピリット
(2009/05/29)
ジョージ・A・アカロフロバート・シラー

商品詳細を見る

 帯のコピーが「既存の理論ではなぜ経済の変動を読めないのか。ケインズの知恵と行動経済学の成果を組み合わせて『資本主義をもっと深く理解する』」とあります。

 経済学は、多分文系の学問の中で最も現実社会の実務では使い物にならないものだと思います。 「こうなるはずだ」「こうあるべきだ」というモデルは、確かに「そうでしょうね」と思います。 が、この「その他要素は一定として」のモデルが、あまりにも現実離れしているので、「これで良いの?」「それでどうした」という素朴な疑問が纏わり付いて抜け出せていません。
 この本では、これまで意図的に、というか「手におえない(のだと思う)」故無視されてきた、「その他要素」に眼を向けたものです。 この「その他の要素」の中で、不況など「変動」・一見非合理な状態の「継続」に影響が大きいものを、『アニマル・スピリット』という言葉を直訳的には「本能的なもの、動物的勘」ですが、『合理的判断』の対語的に使っています。

 さて、経済における『アニマルスピリット』は?・・・以下本文から引用します。

 ・『安心』 われわれの理論の礎石となるのは安心であり、また安心と経済のフィードバック機構である。 この機構は不穏さを拡大する。
 ・『公平さ』 賃金や価格の決定は、公平さに大きく左右される。
 ・『腐敗と背信』 われわれは、腐敗と背信行動への誘惑も認識するし。それが経済でどんな役割を果たすかも考慮する。
 ・『貨幣錯覚』 われわれの理論のもうひとつの礎石だ。 世間はインフレーションやデフレーションで混乱してしまい、その影響についてきちんと理詰めで考えない。
 ・『物語』 自分が何者で何をやっているかというわれわれの現実感覚は、自分や他人の人生のストーリーとからみあっている。 そうした物語の総和が国の物語や国際的な物語となって、経済で重要な役割を果たすようになる。

 これらは単純に抽象的「名詞」のみならず、「・・・する、・・・になる、・・・ではない」というような「動詞」としてとらえるべきものでしょう。 ここでいう「安心」とは「合理的な範囲を超えて信頼する」ことです。
 こうみてみると、「安心」「公平さ」「腐敗と背信」は、現実世界の「金勘定」的局面で、いつも私たちを「感情的」にするものです。 特に「安心」は、それが揺らいだ時は「乗数」的に(数倍にも波及して)効いてくるものだと記されています。 「貨幣錯覚」とはわかりづらいですが、日本にとってみれば、インフレ・デフレに加え、グローバル化による彼我の「貨幣価値の差」に加え、「為替変動・差益」も含まれるかもしれません。

 そして、『物語』・・・ここで出てくるか・・・ですが、この項目について、本文を辿ってみます。 「物語」に関する章の書き出しはこうです。

 人間は物語をもとに考えるように作られている。 つまり、内的な論理や力学を持った一続きの事象で統合された全体として見えるようなものに頼りたがる。 おかげで、人間の動機の相当部分は、自分の人生の物語を生きることから生じている。 ・・・・ 同じことが国や企業や制度に対する安心についても言える。 ・・・・

 以下続きを抽出します。
 ・・・・ 重要な出来事に関する人々の記憶は、脳の中で物語を核に索引づけられている。 ・・・・
 ・・・・ 人間の思考が物語に基づいているため、人生における完全なランダム性の役割を理解するのは難しい。 純粋にランダムな結果は物語にはおさまらないからだ。・・・・ 
 文芸分析家は、物語にはパターンがあると論じている。 ・・・・ 劇的な状況というのはたった36種類 ・・・・ 根源的なプロットはたった20種類しかない ・・・・ それを「探求・冒険・追跡・救出・脱出・復讐・謎・競争・負け犬・誘惑・変身・変化・成熟・愛・禁断の愛・犠牲・発見・過剰の不幸・上昇・下降」と分類している。 ・・・・ 各種の分類は現実にかなり近くて、真実味を帯びている。

 ここの「人」は、「個人」だけではなく、人のつくる「国」「企業」・・・にもいえることでしょう。

 続いて、物語は政治家やマスコミが積極的に作り出し利用するもの、一方経済学者は避けて通ることにしているものだと記し、こう続けています。
 国民やその他大集団の抱く安心感は物語を核として動く傾向がある。 特に重要なのは新時代の物語、経済をまったく新しい時代へと突き動かすはずの、歴史的変化を述べたとされる物語だ。 
 続きます・・・・
 安心は、個人の感情的な状態にとどまらない。 それは、他の人々が抱いている安心をどう見るか、そして他の人々が他の人々の安心についてどう思っているかということである。 それはまた世界観でもある---現在の世相についての通俗モデルであり、ニュースや世論が伝える経済変化の仕組みに関する通俗的な理解だ。 ・・・
 各種の新時代物語を時代を追って眺めてみるとどれも複雑だ。 これは安心水準の違いが、消費や投資への影響にとどまらず経済に対して多くの影響をもつことを示唆している。 ・・・・
 物語の拡散は伝染病のような形でモデル化できるだろう。 ・・・・ 安心や不安も感染で広まる。 


 ということで、何か「当り前」のようなことが書いてあります。 この当り前さを経済学は「他の要素は一定として=あえて無視」してきたのでしょう。 さておき、この本は、経済学という土台でみれば『物語』論含め面白いことが書いてありました。
 続いてこの本では、経済的な「疑問」に『アニマルスピリット』なる要素を基に説明していくわけですが、それは次回にて。
 

余談: さて、昨年末からの大不況は、落ち込みが激しかったものの、あっという間に回復すべきレベルまではきたようです。 今回の不況は、製造業でみれば、生産・流通在庫がIT化の進展でより可視化し、「悪さが伝播し、それに対策を打つ」時間がこれまでより速かったこと、対策は、グローバルな水平分業により、川下から注文が来なければ生産を止めるしかないこと・・・などによるもので、造り過ぎ対策の在庫調整が一段落すれば「安心」を取り戻すと思われます。 しかし、ナントカローンのような「物語」が崩壊した金融・投資関連は「代替となる物語」はどうなんでしょうか・・・・。

更に余談: 住宅バブルの例として、著者が知人が「のるうぇーのトロンハイム」の家に投資した・・・という例を「異常」と思わなかったという記述がありました。 トロンハイムといえば、サッカーUEFACLによく出てきた「ローゼンボリ」のある街ですね。 人間が定住できる北限に近く、強豪も苦戦するという氷点下10度の凍ったグランドでサッカーをやってましたね。 そこに「投資」なんて普通に考えて「バブル」でしょ? とならないのが、恐怖の『安心の物語』なんでしょうか・・・・。
Secret

TrackBackURL
→http://mariott.blog21.fc2.com/tb.php/447-cd32cf4a
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。