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 さて、「トータルフットボール」云々に関係なく、私のメディアサッカー観戦は’70年ワールドカップのやイングランドリーグの録画放映にはじまり、74年西ドイツ大会、深夜の決勝戦生放送で「慢性化」しました。
 その頃からの「記憶と錯覚の物語」を「記録」でたどってみようとおもい、1年以上前にこんな記事を書きました。 動画サイトで昔の試合の映像がかなりの量視られるようになったこともありますが、一番のきっかけは「サッカーマガジン」がアーカイブページを造り、バックナンバーを自由に読めるようにしてくれたことでした。 が、なんと半年そこそこで「中止」されてしまいました。 ここには、もちろん’74年WC関連の記事として、ミケルスの手記があったので、まずは、それをなぞりながらと思ったのですが・・・。
 ということで、一度頓挫しました。 しかし、気分一新、この関係は多くの方がブログなどで展開されており、それ以上の内容は書けそうもないし、クロニクルならぬ『サッカー考古学事始』なんてあまりにも大仰で中身がないのはバレバレ、ですが・・・。
 フットボール「記憶と錯覚の物語」を再開します。

 この本この本「ヨハン・クライフ―スペクタクルがフットボールを変える」 から、R.ミケルスが「トータルフットボール」について書いた文章の引用の続きです。 今回は、少々小生の注記(普通字体)を入れます。

 この(注:トータルフットボール)システムを実行するにあたり、注意すべき基本的な事項を述べてみる。

 テクニック・・・ 均整の取れたチーム作り ・・・・全ての選手はディフェンス能力を喪失することなく、しかも攻撃力に優れていなければならない。 ゴールキーパーもこの原則から外れるものではなく、ペナルティエリア外でのプレーも知らねばならない。 集団のテクニック水準は高くなくてはならない。 それに加え、チームプレーを指揮できるような資質を備えた選手も必要である。 もちろんほとんどの選手は援助歩兵の役割を果たすことができるし、果たさなくてはならない。


 精神・・・ 充分な責任感と自己犠牲の精神を備えた選手を探し育成する。このテーマはシステムのアキレス腱と言える。「トータルフットボール」には、全力を傾け従事することが要求される。 チームの誰か一人でも、原因はどうであろうと、気を抜いたり身勝手なプレーをしたりすると、チームのパフォーマンスに危機が訪れる。
 身体・・・ スピードがありたくましく、90分のゲームの間、組織だってボールを「射止める」能力のあるチームを組織しなければならない。多くのエネルギーを消費するのですべてのラインで有効な動きを維持できる身体能力が必要である。


 戦術・・・ 熟練し、経験を積んだチームを目指す。チームとして、絶え間なくコンスタントにボールを探しに行って、プレスをかけるのはとても難しいことである。また、前方へ上がったり後方へ下がったりするすべてのラインを継続的に繋げるのも、同様に大変難しい。また、前述したように、ゴールキーパーの動きも重要な要素である。多くのプレーの中で、ゴールキーパーはエリアの外へ出て「スイーパー」(別名「リベロ」などとも呼ばれている)の役割を果たす。そのうえ、速いリズムでプレーするためには、うまいボール捌き、チームの有効な動き、スピード、正確なパスが必要である。これまた実行に移すのは困難が伴う。これらをクリアーできると、観客は「トータルフットボール」がとても簡単なものであり、誰にでもできるような印象を受けるであろう。しかし、そのような印象を与えることができるような試合は、そんなに多くはない。各選手が自分の役割をよく知り、理解し、実行すべきである。任務は、ゲームの展開、得点状況、雰囲気、相手チームの戦術などで変更が生じる。
 「トータルフットボール」は美しくスペクタクルであるが、実行に移すのが困難だ。 選手たちに要求することがたくさんある。 「トータルフットボール」は攻撃的なシステムであるが、逆説的に見れば最も優れたディフェンスの戦術でもある。 試合でよい結果を得るには、イタリアの「カテナッチオ」の方が有効であると思われている。 しかし、「カテナッチオ」は「トータルフットボール」と対照的にディフェンスのメンタリティーに由来するフットボールである。 選手たちはボールを探しに行かない。 来るのを待つだけである。 「カテナッチオ」は最大限にリスクを回避している。 「トータルフットボール」はそれよりリスクが大きい。 当然のことながら、ふたつのシステムは違ったメンタリティーの選手を生み出すことになる。 したがって、イタリアではチームが攻撃的戦術でプレーするのは難しいであろう。
 攻撃的戦術でプレーをするということは、別のタイプの選手を育てることになる。 つまりジュニアの頃から選手を育成しなければならないのである。 今、オランダには、純粋な意味において「トータルフットボール」を代表するようなチームは数少ない。 ドイツでは今、
(注:’70年代中頃)最良のフットボールがおこなわれている。 これもまた、攻撃を中心としている。 しかしながら、「トータルフットボール」とは別物である。 なぜかと言うと、ドイツ・フットボールの基本的な戦術のひとつは、ディフェンス陣のマンツーマンによるマークだからだ。 オランダのフォーメーション転換コンセプトがシステム全体からなされていることを認識していれば、これは基本的に異なっているのがわかる。
 アヤックスのプレーに関して、あるジャーナリストが、「トータルフットボール」という表現を使った。 それ以来この表現は、善し悪しは別にしても使い古された感がある。 「トータルフットボール」はこのスポーツの新しい解釈方法である。 しかしながら、実践者の数は限られている。 うまく実行するのは難しく、それでいて、リスクが伴うからである。 だがやりがいのある戦術だ。

 ここまでが、1976年にミケルスが述べた、彼の理論についての彼自身による分析だ。


この本「ヨハン・クライフ―スペクタクルがフットボールを変える」 からの引用終わります。

 1976年ですから、74年WC後あまり時間がたっていない時期ですね。 この本には初出の「新聞」が何か書いてないのが残念です。 これは、後付の自己分析かもしれませんが、逆にそう読むと面白いことに気づきます。

 まず、余談ですが、「援助歩兵」!、かの有名な「水を運ぶ人」のことですね。 あの「水を運ぶ」ねたが出た時に「ミケルスのいう『援助歩兵』のことですか?とのツッコミは記憶がありません。 最近の本なのに、こういうねたは皆さん読んでないんでしょうかね。 又、選手のあるべき姿は、「ポリバレント」で「犠牲的精神」に溢れ「走る」・・・どなたかのキャッチフレーズですね。 というかいつの世でもプレーヤーの理想と言ってしまえばそれまで・・・。 閑話休題・・・。

そして1年以上前のこの記事 で、私は「記憶」からこう書きました。
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 1.フィジカル(走力・体格・格闘力)まずありき・・・代表が「ニースケンス」
  相手の主力を削りまくる暴力性  ボールチェイス・プレッシング・数的優位を続ける走力
 2.10人の徹底したフォーメーションプレー・・・「アヤックス+フェイエノールト」
  ローテーションサッカーといわれたポジションチェンジとカバーリングの徹底
  前線のボールへの集団プレッシングと極端なオフサイドトラップ
 3.クライフという絶対的な個の能力が前提
  1.2.あってこそのクライフ・・・10人の組織プレー(労働者)+完全な自由人
  クライフあってこその1.2.・・・クライフがいなければただの「強い」チーム

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 1.は、ミケルス文「身体」のところに書いてある通りです。 この通りに大会に仕上げてきたようです。(これはサッカーマガジン等の記事で、科学的なトレーニング含め相当鍛えた、とあります。
 特に、一時リーグのウルグアイ戦、二次リーグのアルゼンチン・東ドイツ戦は、やるべきプレーを90分持続する意味で「走り勝ち」でした。
 ウルグアイ戦の映像はこちらから・・・・ アルゼンチン戦の映像はこちらから・・・  東ドイツ戦の映像はこちらから・・・
 ただ、相手もあれだけ「イニシアチブ」を取られた状態では消耗が早い・・・ということもあると思います。
 暴力性は。ハイライトの印象です。 特にブラジル戦は最後「果し合い」状態でした。 ただ、汚いというより、「平気で削る」ということでしょうか・・・。

 さて、記憶の2と3は連動しかなり長くなりそうなので次回とします。 それに関連した図を最後に貼るだけにしておきます。
74OA01

74オランダof
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