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新しい中国文学史―近世から現代まで新しい中国文学史―近世から現代まで
(1997/07)
藤井 省三、大木 康 他

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 さて、少しでも中国の小説、特に近代はどんなものだったのか知りたくて、とはいっても魯迅ぐらいしかぱっと思い浮かばないので、先日の連休に茨城県立図書館へいって色々探してきました。 此処はバリアフリーでありがたいです。
 私は何か「かじりたい」とき、最低三冊それに関連する総論的なものを探すのですが、まず、すでに持っていた『魯迅:「中国小説史略」(上下)ちくま文庫』の他に何か無いか探しました。 しかし、「金庸」に具体的に触れた本は岡崎先生の各書以外に無く(笑)、結局上記の本が面白そうなので借りてみました。 もう一冊は「ツンドク」だった『中野美代子:「中国人の思考様式―小説の世界から」 講談社現代新書』を読んでみることとしました。
 今回はこの「新しい中国文学史―近世から現代まで」のなかに 最初から興味を引く記載があったので記します。 お時間がある方はお付き合いいただきたく・・・・。
 本を選ぶときは、「まえがき」「目次」「参考文献」「作者のあとがき」を読んでみるのですが、まず本書の「まえがき」から抜粋します。

 『本書のねらいは、中国の元・明・清から現代に至るまでの文学史を作家・作品の解説としてではなく、社会史的視点で語ることにある。』
 『作者が生産され、その作品が流通し、これを読者が消費し、その全過程から批評・新作品が再生産されていく過程として文学史・・・・』
  了解・・・。
 続いて目次です(クリック)。 前半を大木康先生、後半を藤井省三先生が書いています。 「小説史」を軸に進められます。

 『「漢文・唐詩・宋詞・元曲」といわれるが、明末から清は「(白話)小説」の時代である。但し、当時は文学とされず、評価を受けることになったのは中華民国になってから』とのことです。 (『魯迅:「中国小説史略」』が中国で初めて書かれた小説史概論だったらしいです。 尚、魯迅は通俗武侠小説をコテンパンに否定しています(笑))
 筆者はここで図1-1クリックにて、明末から清にかけての文学の構造を説明しています。 黒字が筆者の提示した図です。 結構わかりやすいと思います。
 さて、ここで視方(位置)を変えて、筆者の「横から」(ピラミッド構造)の視点を「上から」(円形構造)で視てみました(橙と青)。 そうすると、ピラミッド構造でみると雅文学は俗文学の「上位」に「別物」として位置していますが、円形構造でみると雅文学は俗文学の「内側にあり」「含まれる」ものと視えてきます。 ただ単に位置が中心か、周縁かの差になります。 そして、文学的価値の逆ピラミッドはただの円形で「文学的価値の差異はない」ものに視えます。 こういう視方のほうがいいのではないかと思います。

 続いて、「通俗文学の極点」として、馮夢龍が編纂した、蘇州地方の方言表記された民間の「山歌」(筆者曰く「男女の愛欲の赤裸々なる諸相」)を紹介しています。 おお「福建」ならぬ「蘇州」の「山歌」か・・・と、そして紹介された歌を読むと、

 題名:『半夜(真夜中)』
  姐道我郎呀璽若半夜来時没要捉個後門敲
  只好捉我場上鶏来抜子毛
  假做子黄鼠郎倫鶏引得角角哩叫
  好教我穿子単裙出来*野猫            *は「走」へん+「日」の下に「干」

  兄さん、もしも夜中に来るのなら、裏の戸をたたいたりしないでちょうだい
  うちの脱穀場のにわとりの羽を抜いて
  いたちがにわとりをぬすんで、コッコとないているようにするのがいいわ
  そしたら、わたしはひとえのスカートをはいて、いたちをおっぱらいに出て行くわ

 夜這いに来る男に、親にばれないように鶏の真似をしろ、ひとえのスカート(これは日本的にいえば「肌襦袢一枚で」でしょう)で出て行くわ。 ということでしょうね。 何をしにいくかは言わずもがな、これを娘の方から言うんですから・・・(笑)。

 ここでハタと思いあたりました。 『「いたちがにわとりをぬす」みにくる』、これは「笑傲江湖」の重要なシーンに出てくるのですよ。
 林平之の復仇後、令狐兄と盈盈は平之と霊珊のあとを追って守ってあげようとするんですが、その際「変装」するのに農家から服を頂いてくることにします。 その時、忍び込んだ盈盈が、老夫婦の会話を盗み聞きするのですが、盈盈が立てた音に目を覚ましたお婆さんが、『お爺さん、イタチが鶏を盗みにきたんじゃないだろうね』と言うんですね。(文庫6巻P315あたり) そして、老夫婦の若かりしころの夜這い話を盗み聞きした盈盈は、令狐兄にその内容を話すのです。 それから暫くウトウトし目が覚めた令狐兄は、「大きな牛肉の塊を持って、黒木崖に忍び込んで君んちの犬にやっていた夢」をみたと云うのです。 

 ハハハ・・・面白い。 中国文学の最も周縁にある「山歌」の素直な欲望の表現、それを編纂した馮夢龍。 先ほどの図1-1(クリック)に戻ると、魯迅によっては「周縁」だと決め付けられた「武侠小説」を、俺はコレが好きだし書くぞと挑戦し、恋愛シーンに、文学の周縁にあった「山歌」を引用してきた金庸。
 此処で紹介された「山歌」をもうすこし(和訳のみ)

 看星(星を見る)
  私が窓を開けて空の星を見るふりをしているだけで
  おっかさんはすぐに「男だろう」という
  おなかの中の虫にだって、こんなに早く知れるものですか
  きっとかあさんも経験あるんだね
  
 偸(ものにする)
  男を作るならおどおどするな
  現場を押さえられたら、私が罪をかぶり
  お白洲に出ることになったら、ひざまずいて正直に申します
  絶対に、絶対に 手をだしたのはわたしです
    (馮夢龍注: このねえさんは大いに義気がある)

 参った参ったですね。 馮夢龍は「三言」を編纂したというのは井波先生の本で知り、結構楽しい話だったので覚えていましたが、この「山歌」はもっと凄そう・・・。 大木先生が解説と翻訳をされているようなので探して読んでみたいと思います。 なんだかどんどん嵌りそうです。

だれも鶏を盗みに来ないようなので、今夜は此処まで・・・。
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