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 ずうーっと前のこの記事から続きます・・・
 続きを書こうと思ったのですが、貸したきり中々返って来ず・・・、今になってしまいました。
単純な脳、複雑な「私」単純な脳、複雑な「私」
(2009/05/08)
池谷裕二

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 第三章: 脳はゆらいで自由をつくりあげる の後半では、次のように展開します。
 手を動かそう」と意図したときには、脳はもう準備を始めている・・・ つまり、「動かそうと思う」ことを「思う」前に、脳は「動かす」準備をしている・・・。 更に、こちらの方が驚いたのですが、「動いた」という「知覚」のほうが、「動け」という「指令」より先だ。 何度考えても「理解できないのですが、ということだそうです。 つまり、脳内で起きていることは
 「脳の準備」「動かそう(意志)」「動いた(知覚)」「脳の指令(運動)」の順・・・『北斗の拳』ですか?・・・はさておき、
 これは、第二章の『自分を他人の視点に置き換えて自分を眺める』ということと繋がって、『存在の基準はあくまでも知覚されること』、つまり「我を知るが故我あり」が著者の考えの様です。
 続いて、海馬とニューロンの写真等を見ながら、脳の「ゆらぎ」へ進みます。 ある刺激を脳に与えた結果の出力は、一定ではない・・のだそうです。 これが「ゆらぎ」。 入力+ゆらぎ=出力 と書いています。 ゆらぎがあるゆえ人間なのだ・・・には納得しました、が、「意志」とはは「ゆらぎ」のみ・・・には???。 現在「ゆらぎ」の規則性は如何?というのが、先端の研究だそうです。 でも規則性が解明され予測できたら・・・怖いですね。
 と言う話題をはさんで、僕らにある「自由」は、自由意志ではなく「自由否定」だ、つまり、「自由とは否定する自由」だと言う展開です。 生徒の高校生もこれには、色々と反論と言うかツッコミを入れ切りかえし、講義は更に展開します。
 「否定しない意志」があるのでは?・・・、 否定する自由意志といっても「ゆらぎ」次第・・・これでは「ゆらぎ決定論?」、 ・・・でも「ゆらぎ」は環境と身体によって規定され、経験・学習で変りうるもの・・・ 更に、時間・空間の認識実験の結果などを経て、脳の重要なはたらきは「フィードバック(情報を前の層へ戻す、つまり、脳の情報が再び脳に戻る)」と「順モデル・逆モデル」・・・などなど。 そして、こういう記述に行き着きます。
 外部世界が既に脳の中に経験として保存されていて、経験と言う「世界のコピー」を元に目標から計画を逆算している。 それを世間では「予測」という。

 そして、「脳」とは直接関係無いようですが、「進化のステージ」ということで、以下のような記述がありました。
 脳の「可塑性」が生存のキーポイント。 ・・・ 可塑性の高いものが淘汰に勝つ。 ・・・ 遺伝子の差は可塑性で克服できる。 ・・・ 可塑性による淘汰が進むと可塑性のある個体のみ残るので遺伝子の優劣が生存上有利となる。 ・・・ 更にこの集団は遺伝子的に均一になってしまう。 ・・・ 多様性を持たなくなった種はほろびる。
 図にすると(リンク)のようなことだそうです。
 同じような事を以前読んだ記憶もあり、学術的な適否はよく判りませんが、この「可塑性」と「遺伝子の力(優劣)」・・・優劣というと、価値評価のように思えるので単純に「力」といいます・・・は、色々なものを見ていくのに上手い「レトリック」だな・・・と結構気に入っています。 例えば、サッカーというスポーツ、ある国の栄枯盛衰、ある商品・産業の競争力・・・など。 これから結構使ってしまおうと思っております。

 第四章: 脳はノイズから生命を生み出すs この章は抜書のみです。
 まず脳の「ゆらぎ」は何の役に立っているのだろう・・・ ① 効率よく正解に近づく(最適解への接近) ② 弱いシグナルを増幅する(確率共振) ③ 創発のためのエネルギー源
 続いて、人間界にも自然界にも存在する共通の法則--ベキ則(冪乗則) 複雑系・ネットワーク(回路)などの話を経て、
 構造<=>機能という両方向性の作用があって、はじめて生命はしなやかさを獲得するってことだ。・・・生命は自信を書き換える・・・この「自己書き換え」の能力こそが、脳の可塑性の基盤になっている。
 僕たちの「心」は、フィードバックを基盤にしている。 フィードバックの回路から発火活動の「創発」が生じる。 同期発火のベキ則とか・・・。
 と同時に、僕ら自体もまた、身体や環境や幽体離脱を介して、フィードバックの回路になっている。 だからやはり創発を生む。
 その「創発」の産物のひとつが「心」だ。・・・心は、脳の思考とは関係なく、フィードバック処理のプロセス上、自動的に生まれてしまうもの・・・

 「脳」を使って「脳」を考える---リカージョン(再帰)、入れ子構造・・・可能なのはたぶんヒトだけ。 リカージョンによって初めて「無限」という疑念が獲得できる。・・・「無限」の存在に気がつくようになると・・・「有限」というものを理解している唯一の動物。
 「有限」を知っているというメタ認識こそが、ヒトをヒトたらしめている。 リカージョンができるから、「私は今ここにいる、でも。その私ってなんだろう」・・・複雑な多層構造の「自己」を人間は持っている。
 リカージョン・・・なぜ、・・・可能になった?・・・おそらく言語。
 リカージョンは無限に入れ込むことが出来るが、それを行うワーキングメモリー(短期的記憶)が有限。 だからこそ「心はよくわからない不思議なもの」という印象。

 脳の作動そのものは単純なのに、そこから生まれた「私」は一見すると複雑な心を持っているように見えてしまう。
 脳には「驚くべき単純性と、そこから創発される複雑性が共存する」

 ということで、このあと「汎化」「ラッセルのパラドックス」などという言葉が出てきますが、最後講義を受けた生徒との感想・質疑応答で終わりです。

最後に、思わず唸ってしまったお話。 病気や障害のことなので不謹慎といわれるかもしれませんが・・。
 「エイリアン・アーム・シンドローム」:右脳と左脳に1か所ずつある運動準備野のうち、右脳が異常になると、左手が勝手に動く・・・。 片手で首を絞めて、片手がそれをふりほどこうとする状態になった人も居る。
 これは、まるでひとつの脳に複数の人格が同居している状態。 違う人格が次々に現れる「多重人格(解離性同一性障害)ではない。 別々の意志が相互に喧嘩するという奇妙な状況になる。
 冗談じゃないんですね。
 これって、周伯通が、射雕英雄伝で郭靖に、神侠侶で小龍女に教授した、右手と左手が戦う、別の技を繰り出す、「双手互搏・左右互搏」を思い出してしまいました。 小説では、「心が自由な人でなければ習得できない」という、メタファーで、周伯通・若き郭靖・小龍女、の人間性を喩えた技でした。
 金庸先生も、知ってか知らずか、こんなネタまでしこんでいたのですね(笑)
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