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 結構、まじめに書き始まったのですが、どうも気が進まなくなって中座。 書き掛けですが、まずは載せておきます。
 この記事からの続きです。

 「神雕侠侶」の金庸先生あとがきからの抜粋を続けます。

師匠と弟子が結婚できないという考えは、もちろん現代人の脳裏に全くないけれども、郭靖や楊過の時代ではごく当たり前のことだった。 そうすると、私たちが今当たり前だと思っている数々の決まりや習慣は、数百年後には何の意味も持たなくなる可能性が大きいのではないだろうか?
 道徳規範やら行為の基準やら風俗習慣といったものは、社会的な行動様式であって、常に時代とともに変わるけれども、人間の性格感情はそれほど激しく変動するものではない。


 ということで、まず、二つの図を貼ってみます。
 左は『性格』、ユングの分類を「外向/内向」・「思考/感情」の二つの対立項にしてみました。 各々の意味は、以下の通り(wikiより)です。
 ・外向 外界の事物に関心が向く。環境適応が早い。周りの意見にあわせる(流される)。
 ・内向 内界の主観的要因に関心が向く。思慮深い。周りの意見に左右されない。
 ・思考 知性によって物事を一貫的に捉える機能。
 ・感情 好き嫌いで物事を捉える機能。
 Aさんは、外向的で思考優先、よって(A)型だね。 みたいなステロタイプな見分け方が出来ます。 もちろん、座標の大小で、その程度が計れます。

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 右は『感情』、所謂「六情」を二項対立的にすると、三次元の図式になります。 やはり、愛憎がz(縦)軸でしょうね。 これが3Dであっちこっちの座標に飛び回るのが生の人間であります。 憎・怒・哀が、積み重なると、それをもたらした相手(人間だけではない)に対し、「怨」「恨」が生まれるわけです。 それは、相手には全く落ち度が無くとも、誤解や偶然の産物でも・・・。 李莫愁然り、裘千尺然り・・・「怨恨」の猛毒に滅んでいきます。
 一方、愛・喜・楽が積み重なると・・・何んて云うんでしょうね? 適切な言葉が無いですね。 それだけ、人間にとって縁の無いことなのか? いや、日常に溢れるほど充たされているが故感じないのか? ともあれ、日常にまったく無かった故、それを得たときに一気にスイッチが入ったのが、そう・・・楊過です。 「突然炎の如く・・・」。 そして、「怨恨」だけではなく、愛・楽・喜という「情」も猛毒と化し、「気違いピエロ」のように人をたちまち滅ぼすこともある・・・。

 金庸先生の言葉を続けます。
 <中略> 個人的にはいつも感じていることだが、小説の中では、人の性格や感情が社会的意義よりも大きな重要性を持っている。 <中略> 親兄弟の感情、純粋な友情、愛、正義感、善意、そして人助けや社会貢献といった感情やヒューマニティは今後も長く賞賛され、いかなる政治理論や経済制度、社会改革、宗教信仰などでも代替できないように思う。

 そうなんです・・・『情』は全てを支配する、『情』が全てを変える、『情』から全てが始まる、ところで、その『情』って何物なの?、という問いかけから始まったのが、この物語です。

『神雕侠侶』(Wiki) (中文wiki)   (百度HP・・・)   SINAHP  中文原作・・・ NECOHP  MAXAMHP
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