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 ここで、書くぞと言ってしまった、我的『倚天屠龍記』縁起の第1回は、「『二項対立の脱構築』:「倚天剣と屠龍刀」が結実すると・・・」 です。

倚天屠龍記〈4〉魔女と魔剣と (徳間文庫)倚天屠龍記〈4〉魔女と魔剣と (徳間文庫)
(2008/03/07)
金 庸

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 金庸各小説のテーマは、その題名に解りやすく表現されています。
 『「書」と「剣」と「恩仇」の「録(お話)」』・・・武侠小説のエッセンスを四つの文字で表しています。 さあ、武侠小説を書くぞ!・・・と。 そして、 『「碧血(殉死した忠義者)の「剣(武功)」』・『射雕英雄伝』・『神雕侠侶』と英雄譚の長編が続いて、この『「倚天剣屠龍刀」の「記(記録=歴史=物語り)」』。 英訳すると「The Heaven-reliant Sword and Dragon-slaying Saber」)」』です(英文Wiki)。 Theという冠詞がひとつ、なのと「と=and」が肝心です。 「二つでひとつ」なんですね。
 『「倚天剣屠龍刀」』の由来は、万安寺で最後まで何ものにも屈せず円寂した滅絶師太が、間際に周芷若に、こう物語って(Narrative)いました。(カッコ内小生追記、・・・・は中略)

 「(黄蓉)は、楊過大侠がわが派(峨眉派)祖師郭女侠(郭襄)におくった玄鉄の剣を溶かし、西方の鋼をも加えて、二振りの武器を作らせた。 一方が「屠龍刀」、もう一方が「倚天剣」じゃ。・・・・兵法と武芸の精髄を二つに別けて刀剣の中にこめた。 「屠龍刀」には兵法をこめ、・・・いつかこれを得た者がモンゴルの皇帝(龍)を殺(屠)してモンゴル人を追い払うよう願った。 「倚天剣」には、武芸の秘訣を納め・・・・いつか人がこれらの武芸を学び、天に代わって(倚天)道を行い、民のために害を除くよう望んだのじゃ。・・・・宝刀はその子、破慮どのに授け、宝剣は本派の祖師(郭襄)に授けた。」

 しかし、その後の「歴史」は、郭夫妻と破慮が南宋の滅亡に殉じた為、「屠龍刀」は行方不明となり、こんな「伝説」が残り、
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 元朝を滅ぼす手段のはずが、「それを持つものは武林に覇を唱えられる」と、持つことが目的となり、そして「倚天剣」に関する最後の二行は、意味不明になっていたわけです。

 郭靖:楊過の遺産を「二つに分け」残したゆえ、元来の意図は実現しないばかりか、武林では「屠龍刀」の争奪戦が続き、「倚天剣」という分不相応の遺産を背負ってしまった「峨眉派」には明教への怨念が生じ、恩仇、愛憎が多重に積み重なった「二項対立」のぐちゃぐちゃな世界になってしまった、これがこの物語の始まりです。

 「二項対立」の最たるものは、『そこにあるのは「差異」なのに、それを「対立」するものとみなし、○×の判断をつけよう』とすること、です。 それを、己の功利、相手の滅絶にのみ使うことは、唾棄すべきものです。 ただ、それが「情」によるところが強いと、人間、それほど立派なもんではないからなあ・・・と。

 この物語のひとつの主題は、この「二項対立」を、どう解きほぐし、組み立て直すか・・・。 それも、パズルを解いたり、並べ替えたり、裏返したりではなく、「静止的な構造を前提とせず、古い構造を破壊し、新たな構造を生成」するか、・・・世に言うところの脱構築です。

 その仕掛けが、元朝まで含んだ「二項対立」同士の「融合と結実」です。 それも只「くっつけて出来上がり」ではなく、その結実に「脱構築」させようようとしています。 この役割が、武当派のエリート「張翠山」と天鷹教の令嬢「殷素素」の子「張無忌と、反元の起義に破れ滅せられた明教の一派「周子旺」の娘(初版ではこうだったが二版からは船頭の娘に替わっている(Wiki)で、武当派の大師父に救われ、峨眉派に引き取られた「周芷若です。
 更に、プレイボーイの明教幹部と、武当派のエリートと結婚する予定だった峨眉派幹部の不義の娘「楊不梅」、そして、衰退しつつある元朝の公主として我儘放題、瀬戸際で「家」より「我」を選んだ「趙敏」。 波斯明教を棄教した教主候補の娘「小昭」。 と、混沌としてどうしようもない世界に放り込んでいます。

 そして、出来上がってしまった「歴史(伝説)」による「二項対立」を加速・増長させる人物も忘れません。 「滅絶師太」と「成昆」です。 「紀暁芙」と「謝遜」がその直接の犠牲者となっています。 また、「張翠山」と「殷素素」は、この「静止的な構造を前提」とした世間に許されず自死します。

 取り巻く武林六大門派・明教の面々も、射雕・神雕に比べれば「小物」ばかり・・・、「天下五絶」の足元にも及ばず、皆、個性が引き立つほどのたいした「差異」はありません。
 対立を生む要因も、所詮これにいきつくとはいえ、「色恋沙汰・痴情の縺れ」ばかりと、武侠小説としては「カッコイイ」モノではありません。

 このお話は他の長編に比べても、まず、キャラクタ設定してやりたいことを決め、書くことは「ヨーイドン」で「さあどうなりますか」・・・「アドリブ」「いきあたりばったり・先を見ない書き方」をしていると思います。 盛んにモノローグや会話で物語られる「ここまでのお話」は、実に上手く造られているのですが、「今起きていること」の繋がりは滅茶苦茶・支離滅裂。 あとがきで、金庸も、
 「張無忌というキャラクタを作ったのは私だが、ひとたび物語が動き出すとキャラクターは一人歩きを始め、作者にも予想がつかないのだ」
 と書いていますしね。
 その結果「書けたこと」が上手くいった人物は評判がよく、上手く書きこめなかった人物は「嫌われもの」になってしまっているような気がします。
 先日全編読み直してみて、・・・やっぱり黄杉の女は反則だよね、「殷離・蛛児」は愛おしいねえ、「周芷若」は絶対悪になりきれない処が切ないなあ・・・と、思うのですが・・・。

 倚天剣屠龍刀ですが、このお話を通じて対照的なイメージが湧いてきます。 ただ、単純な二項対立のお話ではないよというのは、 「と=and」なのですね。
 この辺は次回以降で・・・

『倚天屠龍記』(wiki) (中文wiki) (百度) DVDMAXAMHP  MAXAM予告編  (中文原作)  NECO特設HP
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