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この記事(リンク)からの続きです。 目次は下記下線部をご参考まで。 気になったところの抜書き(斜字)と感想を少々。

中国侠客列伝中国侠客列伝
(2011/03/09)
井波 律子

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 春秋戦国、史記の時代の原初的「侠」が、記録としての歴史から消え去り、字義も変質してしまった「南北朝」以降は、もっぱら「虚」として物語」の中で、それも「民衆の傍ら」で生き続けてきたのです。

虚の部 物語世界の侠 
 第四章 超現実世界の物語・・・唐代伝奇の侠
 1.侠女 聶隠娘
 聶隠娘の「現れ方」は、現在に続く「ファンタジー」の源流でしょう。 「侠」と「ファンタジー」の融合が、物語世界を豊穣にしてくれています。
 2.後世の侠女たち
 ここでは『拍案驚奇の「十一娘」』が紹介されています。 時代は、現世の男どもにはもう「侠」も「夢」も仮託出来なくなっていたのでしょうか・・・。
 3.男の侠者
 「大唐遊侠伝」の主人公の名前元ねた、崑崙奴の「磨勒」が紹介されています。 そして、お笑い系「侠者」太平広記李亀壽』、お話はもとより挿絵が爆笑です。

 第五章 侠者のカーニバル・・・水滸伝
 1.百八人の魔王
 2.一匹狼の侠
 3.組織者としての侠
 4.梁山泊軍団の壊滅とそれぞれの最期

井波先生は、百八人を「一匹狼・技能派系」と「組織者としての侠」に分けてその特長、特に最期の形の比較をされています。 前者(魯智深・武松・燕・戴宗・・・)が「義」を果すや各々に相応しいといえる最期を迎えるのに対し、後者の宋江の最期は・・・・という比較です。 そしてこう〆ます。
 「水滸伝」の作者は、梁山泊軍団のこうした末路をあらかじめ計算に入れ、終始一貫して、魯智深・武松など一匹狼の侠、戴宗や燕青のような技能派の侠、そして宋江や盧俊義のような組織指導者としての侠をきっちり描き分けている。 用意周到、まことにみごとな構成力というほかない。

 私は、水滸伝は、「梁山泊へ全員集合、悪を糾す軍団の活躍・・・」で終わらず、リーダーの「晁蓋」から「宋江」への交替、「替天行道」から「順天護国」への旗印変換、「聚義庁」が「忠義堂」への解明などで、物語が変質していくところ、ここに、様々な解釈・読み方が出来るところが魅力のひとつと思っています。 人物・逸話の差異の豊穣さに加え、物語の前半/後半、人物の前者/後者の「対比」が、また複雑な読後感を生みます。 そして物語がどうぞお好きに解釈してみてくださいと投げ出してくる「アイロニー」、ファンタジーとリアリズムの混在・・・これらがこの物語の不思議な力だと思います。

 第六章 舞台上の侠・・・元/明/清代
 1.元曲「救風塵」
 関漢卿作品の中でも、粋な妓女が、慕ってくる妹分を、エゲツナイ男から救う「救風塵」を紹介しています。 いやこれは面白い。
 2.清代戯曲「桃花扇
 不勉強ですが「桃花扇」はちゃんとした和訳が無いのでは? さておき、井波先生は、丁寧にあらすじを紹介し、こう書かれています。
 「桃花扇」は、妓女や芸人という社会システムから逸脱した存在でありながら、毅然として信義をつらぬく三人の侠者(拙注:李香君・柳敬亭・蘇昆生)の潔さと対比して、いちおうは科挙に合格した士大夫の身でありながら私利私欲のためにどんな汚いことも平然とやってのける、馬士英阮大鞘フのグロテスクな姿を容赦なくあぶりだしてゆく。 ここには、・・・明であれ清であれ、およそ権力や体制につきものの腐敗や欲望の醜悪さをあばきだす迫力が秘められている。
 そして、「虚の部 物語世界の侠」をこう締めくくっています。
 わが身をかえりみず、侠の精神を発揮して奔走したのは、妓女と芸人であった。
   ・・・略・・・
 「水滸伝」世界の百八人の侠なる豪傑の多くは、なんらかの形で犯罪者となり、社会規範から逸脱した存在であった。・・・・このように逸脱した存在こそがあっぱれな侠者として描かれるのも、まことに興味深い。

  
結びにかえて・・・清末における侠の精神
  虚・物語世界にしか生き残れなくなった「侠者」ですが、ここで戊戌の変法における、譚嗣同梁啓超の逸話、そして秋瑾の逸話をとりあげています。 そして、
 彼らはそれぞれの流儀で、瀕死の中国に揺さぶりをかけた大いなる侠者だったのである。
 と評し、最後はこう締めくくられています。
 歴史上の侠、物語世界の侠を問わず、「義を見て為さざるは勇無き也」「天に替わって道を行う」と、信義を尽くすその精神とパトスは、・・・受け継がれ・・・顕在化してきた。 又いつの日か、・・・・躍動的な侠の精神とパトスには、世界を変える可能性があるといえそうだ。

 私は、「替天行道」が「順天護国」にすり替わってしまう「躍動的な侠の精神とパトス」より、陳舜臣先生の云われた、「秋瑾が処刑されたとき、処罰を覚悟で、その遺体を引き取りにいった女性」のような、無名の対価を求めぬ「勇気」が「侠」のこころをつないでいくものだと思います。

 この本に関してはこれにて終了。
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