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 サッカーのチームはどんなに適材適所で人選しても、所詮11人の個人能力の総和以上にはならない。 但し総和以下にするのは簡単である。 個人能力の相対的優位性のみを前提とした十年前の欧州ビッククラブ型戦術が、もはやJリーグでも通用しないことを某チームの監督は証明してくれた。 それはどこか一ヶ所でも優位性を失い、内部バランスが崩れた時は「何も残らない」からである。
 ただ、「総和以上になりうる」という幻想があるようだ。 優秀な指導者が時間をかけて、或いは一発勝負の結果なら可能性はある。 但し、その指導者がしかできないことは「継続」するものではない。 又、「総和」が少ないチームは、それまでの指導者の不在や対戦相手の準備で簡単に殲滅される。
 いみじくも’06WCを含めそれ以降の日本が結果的に学んだのはこの2点だったはず。
 「総和以上になりうる」という幻想を打ち砕く現実的な面白くないチームが、暫く勝ち続けるのは悪いことではないと思う。
 では個人能力とは、その総和としてのチーム力とは何か?
鹿島は開幕ニ連戦は昇格組みである。 昇格チームはモティベーションはおのずと高くなる。 戦力整備と戦術浸透などチーム作りが上手くいけば、開幕時は『地力』の差を感じさせない試合を展開する。 ちなみに、昨年の昇格チームの開幕ニ戦の結果は2勝2分2敗と五分である。
 ・柏:H○磐田 A△広島、 ・横浜FC A●浦和 H○横浜FM ・神戸 A●清水 H△川崎
 ヴェルディは、開幕戦で『しっかりサッカーをやる』チームであることを証明した。 今日も、妙に戦術的に構えることなく正面からぶつかった。 ちゃんとしたチーム同士が正面からぶつかれば拮抗し、個は能力一杯の力を発揮し、それを抑えるべく又力が生み出される。 残酷だが、今日の試合で出来ていないことは「出来ない」のである。 Jリーグという日常性に「潜在能力」はありえない。

 ただ、『時間』が『波』をつくる。 波をどうのりきるか・・・、これが個人能力とその総和としてのチーム力である。
 残念ながらヴェルディは最後の『波』をのりきれなかった。 現象で言えば、鹿島の中盤の運動量、特にOMF二人、がじりじりと落ち、ヴェルディの創造性が発揮されだした後半半ばの、ディエゴのバーを叩いたシュートは不「運」である。 しかし、数分後の裏に抜けた17歳河野の力の無いマイナスのクロスは非「力」である。 若くとも彼がこの時間の中心だったはず。 鹿島もわかってつぶしにかかってはいたが、あそこで彼の左足のシュートが曽ヶ端の肩口を襲っていれば・・・。
 その後の膠着した一瞬に中盤でボールを失わず、「この時間の中心であるべき」ダニーロにきちっとボールを繋いだ小笠原。 それを承知し、見事なターンでスルーをだしたダニーロ。 チームの『波』を作るのは己という自覚を失うことの無いマルキーニョスの試合開始から「持続」するオフ・ザ・ボールの努力と田代との連動、点を取る専門職としての個人技術。 これが個人能力を最大限発揮したチーム力の現象・結果であり、できたことが個人能力である。

 追加点は、『勝てばいいというチーム』という風評の否定である。 最強かつ美しい戦術は皮肉にも「才能に裏打ちされたカウンターアタック」である。 但しそれは「時間」と「波」の作用に依存する。 
 CKからのこぼれ球を体を張って奪い、全速ダッシュで前線に駆け上がったダニーロ。 そのボールをきちんとダニーロに繋いだ小笠原。 ここぞという「タイミング」でサイドを上がった内田とその正確なクロス。 守備固めのはずなのにダイアゴナルに長距離を走りニアへダミーの動きをした伊野波。 そしてやるべき仕事をきちんと心地よくこなすマルキーニョス。 絶望に唖然とするヴェルディのDF・・・。 残り数分で攻めあがった相手にカウンターで止めを刺す。 これは唯の「記録」の言葉で何も意味していない。

 この情景は鹿島のみにおきるものではない。 小学生の息子のチームから、CL・WCの決勝まですべてのサッカーにおいて、これまでも多分これからも得ることの出来る快楽のほんのひとつである。

追:このオリベイラ監督のコメントですが、ある意味「普通に優秀な」マネージャーがきちんと仕事をした。 ということですね。 幻想はいいからこのレベルのマネージャーが輩出してくれないと・・・。
 
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