上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
日本サッカー史―日本代表の90年 1917-2006 (サッカー批評叢書)日本サッカー史―日本代表の90年 1917-2006 (サッカー批評叢書)
(2007/01)
後藤 健生

商品詳細を見る

日本サッカー史 資料編―日本代表の90年 1917-2006 (サッカー批評叢書)日本サッカー史 資料編―日本代表の90年 1917-2006 (サッカー批評叢書)
(2007/01)
後藤 健生

商品詳細を見る

 MP3ファイルを作って載せようと格闘しましたが、最大500KBに今気がつき今日のところは諦めました。 笑傲江湖も後半戦に入ったので、そろそろ纏めなきゃと整理しております。 で、本日は30分で書けるところまで・・・。

 後藤健生さんは、この本特に資料編を纏められた事で、サッカー「ジャーナリスト」としてレスペクトします。 この本の副題がそうであるように日本は『常に「代表」の旗を先頭に進んできた』という世界でも稀有なサッカーの歴史を持っていることを痛感します。
 代表チームとは何か? 簡単です。 どんなに頑張っても『その国のサッカーの最大公約数』です。 よって、代表選手はその国の『最高の選手達』が選ばれているわけであり、プレーされる内容は『その国のサッカープレーヤーが集まったときに自然にやってしまうもの』に収束します。 あとは『対戦相手国』との相対的な問題で、細部の調整です。 特異な戦術が売りものであったにもかかわらず、「日常」のサッカーに行き着いた’02年WC。 見事に調整に失敗し日常の最小公約数になってしまった’06WC。
 日常のサッカーで出来ていること以上のものは出来ないのです。 日常のサッカーで起きている問題がやっぱりおきるのです。 それがオシムアジアカップの決勝トーナメントの印象でした。 これは西部さんのこの本でも多分同じ事をいっているようです。
 チームプレーの練習・熟成が「時間」という点ではるかに優位な個別のクラブチームでさえ、「相対的な個人の優位性を前提とした」或いは「優秀な指導者でなくては出来ない」チーム創りが継続性を持てないのですから、代表チームはいわんや、です。 日本代表チームのサッカーは、結果的にこの二つのタイプになってしまうような、『余計』なことをやり過ぎ・考えすぎ・言い過ぎ・期待しすぎてきたようです。 上記の本をめっくっての単純な感想です。
Secret

TrackBackURL
→http://mariott.blog21.fc2.com/tb.php/87-e30a22ed
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。