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 ドラマは、小説と順番が逆になり「少林寺の三戦」が先になっていました。 これはストーリーとして甚だ矛盾するんですが・・・。 まあ、あの「三戦」のシーンは政治ジャーナリストとしての金庸の「筆」が絶好調、名場面ですね。 これは後ほど・・・。
 今回は「御託」にお付き合いいただきたく・・・。

漂泊のヒーロー―中国武侠小説への道 (あじあブックス) 漂泊のヒーロー―中国武侠小説への道 (あじあブックス)
岡崎 由美 (2002/12)
大修館書店
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 武侠小説は、その歴史と魅力が岡崎先生のこの本に「背筋ゾクゾク・胸ワクワク」で紹介されていますが、学問的「文学史」では全くの「はぐれもの」だったようです。 「文学」の中でも「周縁」の「小説」の、さらに「周縁」に位置した「武侠小説」だったわけですが、以前に示した図に書き加えると、周縁ゆえの面白さ・読みどころ(これを価値というかはさておき)があると思います。

 魯迅は、名著「中国小説史略」の「清代の任侠小説・・・」という章(第27篇)で、 「宋代の話本の直系の子孫・・・平民文学が七百余年を経過して再興した・・」 と「児女英雄伝」と「三侠五義」を評価しています。 しかし、その後続々刊行された武侠小説群の、勧善懲悪・邪凶正吉・因果応報のパターン化したストーリーには、講演集(第六講)で、 「作者と読者が、みな、このようにあきもせずにいられることは、一つの奇蹟であろう」 と呆れています。
 そういわれつつも、武侠小説は多くの創意工夫を重ね「売れ続けた」ようですが、近代文学側から、「通俗の極み・役立たず」と揶揄され、大陸・台湾両権力側からは「旧来思想・民心を乱す」と禁じられています。
 その武侠小説を、丁度有名な澳門の決闘で盛り上がったり、編集者の誘いがあったり、本人も嫌いじゃなかったとかきっかけはあったとはいえ、新聞拡販の手段として、混乱期の権力の中心からは疎外され香港に来た士丈夫・文人たる金庸が、「周縁」の極地「武侠小説」を書くことになってしまったわけです。 この二重の周縁性は時代の結果というか皮肉でしょう。 それにあたり「ほとんどの小説と同じように、人間性を描きたい」(笑傲江湖「あとがき」)と取り組んだ意気込みは「挑戦的」なものと思います。 少なくとも出来上がった市場戦略(マーケティング)に乗ったものではありません。

 そして、金庸がその筆を振るった「香港」の地は、地理的・歴史的・政治的にも「中国(東洋)」の周縁であり、「大英帝国(西洋)」の周縁でもあったわけです。 崩壊と混乱の「中国(東洋)」側からの脱出、衰弱と変革の「大英帝国(西洋)」的なものの流入。 お互いに再構築の時代の「窓口」というか「抜け道」です。 見聞きする「香港」は実際、まるで武侠小説の舞台である「江湖」そのものだと感じました。 これは、その後の香港映画の数々が描くところでもあります。 元々の小説の舞台である「江湖」「武林」という「仮想空間」が、作者が現在生きる香港の現実と見まがうものであったと思います。
 又、地域的周縁性は天龍八部をはじめ各作品の舞台・登場人物が、「中原」(中国的なものの中心)だけではなく辺境の地に多く、それらが単に中心と対立するものと描かれていないこととも関連します。 この辺は後ほど・・・。

 こういった二重・三重の周縁性、言い方を変えれば「異端」性は、今やコンテンツ業界の「主流」になった金庸の作品群を読む上で、逆に忘れてはならない要素だと思います。

 武侠小説にとっての金庸、金庸にとっての武侠小説とは、正派・華山派を破門され、内力を失い死に掛けた令狐冲と、親を政争で失い非人間的な権力闘争の世界で幼少から育ってきた盈盈の、「緑竹巷での出会いと恋の道行き」のようなものだったと感じています。

 次回は、笑傲江湖における「風刺」について書いてみます。 
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